未読・半読・一読の本 序

未読・半読・一読の本 序 (180410)

「未読・半読・一読(みどく・はんどく・いちどく)の本」では,ざっと目を通し,あるいはそれも途中で止めてしまった本,買っただけで目も通してもいない本,さらにはKindle本でサンプルだけダウンロードしそのうち買おうと思っている本,まとめれば積読本(つんどくぼん)を紹介していこうと思います。

本の森

これまで本の森で紹介する本は,主として「詳細目次」を紹介することだけでも意味があると思う専門書,一般教養書といわれる部類の本を対象としてきたが,そのような本の内容にきちんとコメントしようと思うとなかなかエネルギーがいるし,私の関心もどんどん目移りしていくしで,どうしても作業は「詳細目次」を作成するだけで停滞し,いつしか日の目を見ないままま埋没してしまうので,精神衛生上よろしくない。心の底では,紹介は,松岡正剛さんの「千夜千冊」ぐらいの詳細,緻密な記述にしたいという思いはあるが,あちらは優秀なスタッフを抱えたプロ,こちらは弁護士の仕事の片手間では,レベルが違い過ぎる。このような思いは,かえって埋没に拍車をかけてしまう。

ところで久しぶりに「千夜千冊」のことを思い出したので,Webを見てみると,最新の本(1670夜)は「国語入試問題必勝法(著者:清水義範)」であった。今,清水義範さんとは意表を突かれる思いだが,紹介された内容は,今読んでも昔と変わらず楽しい。

改めて「千夜千冊」にどんな本が紹介されているかを見ると,松岡さんの関心の広さには驚嘆する。私が手に取ったことがあるであろう本は約4分の1,内容に見当がつく本でもせいぜい半分というところだろうか。私も法律書は別にして,様々な機会に5000冊は処分(寄付)し,いまKindla本2500冊,リアル本1500冊ぐらを保有している,個人としてはまあまあの愛書家のつもりだったが,桁が違う。それに登山に情熱を傾けていた約10年間は,本よりも山の風が好きだったから,大きな差が開いてしまった。

松岡さんの基本は,思想・文学を中核にして,文化,歴史,社会にアプローチするということだろうか。それと松岡さんは,編集工学を提唱され,情報史にも興味をお持ちなので,その意味での広がりもある。「千夜千冊」もわかりやすいし,面白い。しかし松岡さん自身が書くものは「参考書」としては面白いが,問題に切り込む凄みに欠けるような気がしていた。

私は思想・文学を捨て,科学・論理を中核にしてアプローチするスタイルに転向したので,松岡さんのリストを見ると,松岡さんの関心外の本も,守備範囲であることが分かる。だから今後は,本の森本編では,私が立てた問題(このWebで紹介しているような問題だ)を解決すべく,主としてそのような本に切り込もう。

未読・半読・一読の本を紹介する

最近,山へも行かず,お酒も(少し)控えめなので,本を読んだり,勉強したりする時間が割とある。あるいは,出張に行くと往復の乗物だけでも時間があり,スマホでKindle本を読むのに最適の環境だ。先週,一泊で長崎に出張したが,新書のKindle本2冊全部と,その他にも目を通すことができた。

あるいは,昨日だったか久しぶりに「俳句 4合目からの出発(著者:阿部ショウ人)」という本が目に入ったので読み始めたが止まらない。Amazonのカスタムレビューに「俳句を絶対に作らせないという趣旨の本としか思えない。腐すこと腐すこと全編その姿勢」とあるように,あることをけなすにはどう表現すればいいかについての達人の書だ。あるいは題名だけは頭にこびりついている「読んでいない本について堂々と語る方法(著者:ピエール バイヤール )」は,その内容は忘れてしまったが,題名が魅力的なので,もういちど読みたいと思う。ただ単行本は捨てて(寄付して)しまったようなので,文庫本を買おう。

このように,上段に構えて真正面から振り下ろすのでなく,ざっと一読しただけの本,半分読んでやめてしまった本,あるいは未読の本,要するに積読だけの本も,備忘のために記録しておくことも大事だろう。

年をとってくると最も懸念されることは,一度買った本をもう一度買うことだが,幸いなことにKindle本ではその警告が出るので(過去にR本を買った場合も同じだが,R本はAmazonで買わないことも多い。),それは気にしないで済む。しかし,本が何千冊単位になると本の存在すら忘れてしまい,意識に上らなくなる。意識に上らないということは存在しないということだ。だから思い出すに足る本は,備忘のための記録をつけることには意味がある。

ということで,これから備忘のために記録しておいた方がいいと思う本は,できるだけ「未読・半読・一読」に記録することにしよう,それすらも忘れてしまうと困るが(これは,近未来の冗談です。)。

痩せるために肥満のメカニズムを知る

痩せるのは簡単だ

痩せるのは簡単だ。食べる量を今までの半分にし,1日2時間早足でウォーキングをすれば,数ヶ月で10キロ以上痩せることは確実だ。でもそんなことはできないし,おそらく心と体はボロボロになるのではないだろうか。できないのは,意思の問題というより,行動が生活として不自然で継続不能なことにある。

問題は,肥満のメカニズムを理解した上で,(肥満状態にない人ではなく)現に肥満状態にある人が,どうしたらいいかということである。そこで,肥満状態にある私が,肥満のメカニズムを理解し,どうしたら痩せるか,考えてみることにした。なお,肥満というのは,BMI25以上(より大雑把にいえば,体重>身長-100)のお腹ブヨブヨの中高年を想定している。筋骨隆々のBMI30は,相手にしていない。

肥満のメカニズムを理解する

これについてはそれこそ山のよう情報が散乱しているだろうが,私は「マンガでわかる生化学」を熟読してまとめてみることにした(この本は「生化学」全体を概観するのに,とてもよい。Kindle本は,固定レイアウトなので,解像度のよいタブレットで横画面にして読むことをお勧めする。)。

肥満は,脂肪が体内に過剰に蓄積した状態であるが,私が一番大事だと思うことは,摂取エネルギーと消費エネルギーのバランスを,全体のメカニズムの中で考えることだと思う。

エネルギーの消費

摂取するエネルギーは,糖(グルコース),脂肪,たんぱく質である(ここでは主に前2者だけ考えることとする。)。

身体に入ったエネルギー源のうち,消費(ATP産出)エネルギーとして,まず,糖が細胞に取り込まれて,優先的に使用される。脂肪は,脂肪組織などの蓄積に回り,糖が使い切られて血糖値が低下してくると,エネルギー源として利用され始める。

脂肪が利用されるメカニズムは,脂肪組織に蓄積されたトリアシルグリセロールが,酵素の働きによって脂肪酸とグリセロールに分解されて血管をめぐり,脂肪酸は各臓器や筋肉の細胞に取り込まれ,β酸化という過程を経て,ATPに産出される。ひとつの脂肪酸(パルミチン酸)から129のATPが作られる(グルコース1分子からは38ATP)。この点で脂肪はとても効率のよいエネルギー貯蔵物質である,したがって,なかなか減らない。

体内の脂肪蓄積のメカニズム

摂取エネルギーから,基礎代謝+食事誘発性熱産生(約10%)+生活活動代謝の合計である消費エネルギーを除いた余剰エネルギーが,体内に脂肪として蓄積されることになる。体内に適切な量の脂肪が蓄積されていることは,生きていくうえでとても大切なことであるが,過剰な蓄積が問題である。

脂肪が体内に蓄積されるルートは,摂取された脂肪がそのまま脂肪として蓄積されるルートと,糖が脂肪に変化して蓄積されるルートがある。

摂取された脂肪は,「リポたんぱく質」(小腸でカイロミクロンに,肝臓でVLDLに含まれるトリアシルグリセロール)の形に可溶化され,代謝されない余剰の脂肪は,「リポタンパクリパーゼ」という酵素によって加水分解され,脂肪酸とグリセロールになり,脂肪組織に取り込まれる。

一方,摂取された糖(グルコース)は,細胞内に取り込まれ,解糖系で分解されてピルビン酸になり,ミトコンドリアに入ってアセチルCoAになり,オキサロ酢酸と一緒になってクエン酸になり,通常はクエン酸回路に入ってATPを産出するが,糖が余剰だと,肝臓や脂肪組織では,クエン酸回路に行かずに細胞質に出され,マロニエCoAとなり,いくつかの酵素反応を経て,脂肪酸(パルミチン酸)となる。

肥満のメカニズムから見た摂取エネルギーと消費エネルギー

以上が前提となる(なおこの詳細な過程は「からだの働きからみる代謝の栄養学」(著者:田川邦夫)がお薦めだ。ただこの本は個々の記述は比較的わかりやすいのだが,記述相互の関係,全体での位置づけがわかりにくく,何度読んでもなかな頭に入らない。それはこの本の問題というより,代謝過程そのものの複雑性によるのかもしれない。)。

問題は,摂取エネルギー<消費エネルギー(ATPとして産出,使用)は当然のこととして,過剰に肝臓及び脂肪組織に蓄積された脂肪を,ATPとして産出,使用して消費することである。まとめれば,①摂取エネルギー+②蓄積脂肪によって,③ATPを産出するということである。だから①を減らし,③を増やすのだ。

①については,要は,総量として減らすのが正解であろう。

糖を取り過ぎてインスリンが効かなければ高血糖(一方,インスリンが効いて肝臓に取り込まれると脂肪として蓄積されやすくなるから,肥満ホルモンといわれる。),脂肪は単位量当たりが高カロリーであるから取り過ぎはだめ,たんぱく質には窒素が含まれるから,取り過ぎるとその排出のために肝臓や腎臓に負担がかかる。どれも過ぎたるは及ばざるがごとしで,要するに,ビタミン,ミネラルも含めてバランスよく食べ,食べ過ぎない(腹八分)以上に的確な方針はない。ただし,病的な状態にあるときに短期間,このバランスを動かすこともあり得るだろう。

そうすると,焦点は③である。これを運動とまとめると嫌になってしまう。生体のエネルギー通貨といわれるATPをできる多く使う工夫をすることである。家事・仕事で動き回る,気晴らしを兼ねてのウォーキング(登山),体調をよくする簡単な筋トレ,ストレッチ等々,工夫するしかない。

食べる量を総体して減らすとどうしても食べ残しが出るが,それを気にしない「王侯貴族ダイエット」,好きなだけエネルギー通貨のATPを使う「王侯貴族浪費」,要は,現代の王侯貴族になり,肥満から解放されることだ。うまういくかなあ。

なお,以上の記述には誤りや,不正確なところもあると思うので,適宜,修正していきたい。

「生命の星・地球博物館」に行く

箱根は遠い

箱根の紅葉がきれいになったろうと思い,11月12日(日)に,ジージ&バーバで孫娘に,箱根の「蓬莱園」で落穂拾いをさせる計画を立てた。「蓬莱園」は,つつじで有名だが,確か紅葉もきれいだった記憶がある。言葉は悪いが荒れ果てた庭園で,孫娘が遊びまわるのに最適だ。帰りに温泉・スパの「小涌園ユネッサン」で遊べば最高だろう。早速,スマホの割引画面も用意した。

土日はいつもお寝坊な孫娘をやっと起こし,朝も食べずに出かけ,車中でシューマイ弁当を食べて東海道線の小田原駅で降りたのが,11時前。

いつもの私の箱根登山どおりバスで行くことにし,孫娘のバス車中のおもちゃも用意。ただ乗り込むとき,切符売りのおばさんが,「渋滞で箱根湯本まで1時間かかりますから,ご承知置きを。」といっていたが,まあオーバーな「警告」だろうと高を括る。ほら,出発しても車は少なく,スーイスイ。

ところが「上板橋」を過ぎるとピタリと動かなくなってしまった。まだ出発して2キロぐらいだろう。ジージ&バーバはゆっくりくつろげていいが,このまま孫娘を乗せ続けるのはつらい。そうだ,確か入生田に「生命の星・地球博物館」というのがあるから,そこを見て,それから電車で「蓬莱園」に向かえばいい。バーバによれば,途中の「鈴廣」で,かまぼこの手作り体験もできるという。

鈴廣「鈴なり市場」

「東風祭」でバスを降りて,少し歩くと鈴廣がやっている「かまぼこの里」の「鈴なり市場」だ。バーバによれば店の前の水がおいしいそうだ。私は鈴廣のかまぼこといえば,箱根登山の帰りに小田原で安価な袋入りの「甘くないさつま揚げ風のもの」を買って,車中のおつまみにするのが楽しみだ。孫娘は,かまぼこはあまり好きでないそうだから,何かあれば買おうぐらいののりだ。ところが中に入って驚いた。おいしいフルーツジェラード,おはぎ,干物,魚カツサンド,かまぼこバー(お酒も飲める)まである。どれもおいしそうで目移りしてしまう。人々が観光バスで乗りつけるのもむべなるかな。

とにかく3人でフルーツジェラードを食べ,お土産におはぎを買い,孫娘は中がピンクのハート形のリカちゃんかまぼこを買い,子供用の自動車風のおもちゃにも乗ったが,先を目指して早々に退散。かまぼこづくり体験は,満杯でパス。

「生命の星・地球博物館」

さて風祭から入生田までは一駅あるから少し遠い。途中で孫娘は,ジージだっこ。なぜかジージは,重くつらくてもうれしがる。

「生命の星・地球博物館」について,私はその名前を見て,しばらくの間はきちんと理解することなく,どこかの新興宗教がやっている多少いかがわしい博物館だろうと思っていた。でもれっきとした神奈川県立の「Museum of Natural History」だった。その誤解が解けた後も,入生田で途中下車することはなく,今回が初めての入館だ。

中は広く,展示も概して素晴らしい。とにかく,宇宙誕生から,地球誕生,生命の誕生,そして少し前までの自然を網羅していて,多少ピントがずれたり,作り物と実物が混在したり(これは当たり前だが),開館して20年以上たっているので最新の知見かには疑問があったり等々するが,でもこれだけのものを維持管理することには敬服する。

思い出したのだが,最近はないが,私は登山の途中に地方都市の県庁所在地にいくと,たいてい,公園の中にある博物館(かなければ美術館)に行っていた。どこも予算が削られるからだろうか,かなり古くて貧相なところが多かったが,そこで石や動植物の展示をじっくりと見るのは楽しい。「山の自然学」の小泉武栄さんが,日本では,自然史がほとんど教えられていないと嘆くが,そう,私もあまり習った記憶がない。必然的に身近な自然も知らない。孫娘にはぜひ,自然を学んでもらいたいと思う。

孫娘は!

当の孫娘だが,宇宙,地球の誕生で圧倒され,巨大な恐竜の骨が何体もあり,天井にも巨大な「鳥」がいるのを見て,徐々に怖くなり,ジージにしがみついて,急いで駆け抜けようとする。途中の,昆虫や植物には,興味津々だが,向こう側に恐竜が見えると怖くなる。とにかく,足早という感じで外に出た。

退館しようとすると,色鉛筆でする昆虫の塗り絵を勧められる。ジージ&バーバは,見本の写真に忠実だが,孫娘は奔放な色使いだ。まず男性館員がそれを見てほめたたえる。続いて女性館員2名も絶賛して写真を撮らせてくれという。孫娘は,もう一度色を塗るポーズをとる。でもなぜか舌が出ていた。

帰りに横の河原で石遊びをする。孫娘は,集めた石でケーキ屋さんだ。「いらっしゃいませ,何にしますか。リンゴパイはありません。チョコレートケーキはいかがですか。」。

遊び終わり,ジージは石のケーキを持って帰るように勧められる。バーバがさっと,重いケーキは捨てたけど。ザックに石を詰めて歩くジージは,初心者登山部員だ。

帰りの東海道線で孫娘は爆睡だ。うちに帰って「ジージ,楽しかったね。また行こうね。」。もちろんですとも。でも今日は小田原巡りで終わり。箱根は遠かった。

 

「動物になって生きてみた」を読む

「動物になって生きてみた」(著者:チャールズ・フォスター)(Amazonにリンク

 

熟読するのは辛いがこの本の世界を這い回るのは楽しい

著者がこの本の中で「生きてみた」動物は,アナグマ,カワウソ,キツネ,アカシカ,アマツバメ!!

著者の文章はペダンチックだがウイットに富んでいて,エッセイとして面白いところも多いが,いかんせん長すぎる。というのは,一体著者が「動物になって生きてみる」ために,具体的に何をしているのかが,この文章,文体では把握しづらく,絶えず長大な哲学的な詩を浴びせかけられている感じだ。

アナグマ,キツネ,アカシカ

著者はアナグマについて,イギリスの荒涼たる原野を,子どもと一緒になって穴を掘り,アナグマ目線で這い回り,食べ物も少しアナグマを真似たようだ。

キツネは,ぼろをまとって透明になり,街中を彷徨する。

アカシカでは,猟犬に追いかけられる体験をしている。

いずれも,殺伐たる生きるための世界だ。ネズミ,モグラが氾濫する世界だ。でも,それ以上に思いが広がらない。

カワウソ,アマツバメ

文句なしに面白いのが,カワウソ。「カワウソの安静時の代謝は、同じくらいの大きさの動物より40パーセント高い。泳いでいるあいだには、なかでも冷たい水で泳げば、それが大幅に上昇する」。その結果,起きている6時間の間に,体重95キロの著者に換算すると,ビッグマック88個分の殺戮をして食物を食べなければならないそうだ。そのため広大な地域を放浪し,侵入者が魚を奪うのを防ぐ。その結果,死んだカワウソを解剖するとほぽ半数以上で直前の争いの跡が見付かる。「傷は非常に不快なものだ。水中で戦うカワウソは相手の下腹部と性器を狙う。腹は裂かれて内臓が飛び出し、睾丸は引きちぎられ、ペニスはへし折られる。それでもまだましなほうで、最悪の傷は私たちの目に入らない」。なんてことだ。

一方,アマツバメは,21歳ぐらいまで生きるが,人間との違いは,「1年に注ぎ込んでいる生きることの量にある。数字にはある種の真実が含まれているから、少し計算をしてみよう。アマツバメは毎年、春と秋に、オックスフォードとコンゴのあいだの約9000キロメートルを移動する。1年あたりでは1万8000キロメートルになる」。これにふだんの暮らしで飛ぶ距離は数えると,1年の合計が,4万8375キロメートル,合計で101万5875キロメートル。これは地球と太陽のあいだの距離のおよそ150分の1、地球と月の間の距離の2.6倍にあたる。」。

日本の自然

この本に描かれているイギリスの自然は,荒涼たるものだ。一方,これに見合う日本の自然に思いいたらない。

服部文祥さんという登山家がいて「サバイバル登山」,「狩猟サバイバル」,「ツンドラ・サバイバル」という一連のサバイバル登山ものの他に,「百年前の山を旅する」という装備を100年前に戻して登山してみるという企ての本もあって,登山好きには憧れのスーパースターである(本を探してみたのだが,事務所移転時に数千冊を寄付した中に入っていたようだ。)。自分でよたよたと登山する人間にとっては,そのすごさがとてもよく分かるのだが,冒険家としてのパフォーマンスが不十分とする「観客」や,その振る舞いが自然を害するいう「文明批評家」もいて,なかなか大変のようだ。

服部さんの営みは,あくまで人間から自然に接近するアプローチだったと思うが,この著者は「動物になって生きてみた」(Being a Beast)というのだから,発想が真逆だ。しかし,率直にいって,服部さんの本の方がはるかに面白い。

なお著者には,Very Short Introductionsシリーズの「Medical Law」という著書もあり,弁護士でもあるようだ。一体どういう人なのだろう。

目次

第1章 野生の生きものになるということ
第2章 土その1―アナグマ
第3章 水―カワウソ
第4章 火―キツネ
第5章 土その2―アカシカ
第6章 風―アマツバメ

お薦めの本

「本の森」はなかなか増えていかないので,カテゴリーの見直しを契機に,各カテゴリーのお薦めの本を,適宜2,3,ピックアップしておきます。暫定的なものです。

 

Ⅰ 宇宙と科学…エネルギー・物質・情報・宇宙・地球

「情報と秩序」「宇宙からいかにヒトは生まれたか」

Ⅱ 生命と知能…生命・進化・遺伝・知能・言語・自然

「なぜ生物は誕生したのか」「生命,エネルギー,進化」

Ⅲ 人体・医療・健康…Ⅱから取り出したもの

「ジエンド・オブ・イルネス」「人体600万年史」

Ⅳ 人類と社会…人類・集団・社会・文化・政治・経済

「啓蒙思想2.0」「決断科学のすすめ」「繁栄」

Ⅴ 経営・アイデア・技術…Ⅳから取り出したもの

「経済的価値と社会的価値を同時実現する 共通価値の戦略」「創造はシステムである」

Ⅵ 国家と法制度…Ⅳから取り出したもの

「法と社会科学をつなぐ」「法哲学」「数理法務のすすめ」

Ⅶ 論理とIT…論理・数学・計算・データ・PC・IT・AI

「哲学入門」「インフォメーション」「<インターネット>の次にくるもの」

Ⅷ 文芸・登山・その他

「Born to Run」,「芭蕉連句集」

Ⅸ まとめ読み

 

事務所移転のご挨拶

弁護士 村本 道夫から

皆様におかれては、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。

今般私は、カクイ法律事務所に参加させて頂くことになりました。同事務所を開設された石井邦尚弁護士(1999年弁護士登録)は、IT法務の最先端に位置する気鋭の弁護士であり、私も学ぶところ大の好青年(壮年?)です。

ところで私はここ6年余り、ビジネスジェット機を利用した国際医療搬送事業の立ち上げに主として法務面から力を尽くしてきましたが、事業をめぐって様々な暴風雨が吹き荒れ、島尾敏雄さんの小説になぞらえれば「出発は遂に訪れず」!

今後はこの経験,蓄積を活かし、通常の民事事件に加え、企業、行政、医療、航空等に関わる法務に「趣味」のAIと生命科学を視野に入れ、皆様のお役に立てる弁護士活動を行っていきたいと考えています。倍旧のご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。

弁護士 石井 邦尚から

この度、私どもの事務所に、村本道夫弁護士(1985年弁護士登録)に加わっていただくこととなりました。私は、村本弁護士とは、同じ案件を共同で受任したりする他、公職選挙法改正に関する研究提言、さらには家族での登山等々、10年以上前から公私にわたり様々な活動をご一緒させていただいてきました。今後はこれまで以上に協力して、より充実したリーガルサービスをご提供していく所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

カクイ法律事務所

〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町2丁目4番 ユニオンビル4階

TEL:03-5298-2031  FAX:03-5298-2032

Web http://www.kakuilaw.jp/

一難去って又三難

言い訳から

前回の投稿が,5月26日の「さわやかな初夏のお出かけ」だから,あっという間に2ヶ月が経ち,盛夏になってしまった。投稿する度に間が空いたことの言い訳をするのもみっともないが,それにしても私に降りかかるWOL(私が関与している会社)の重みは,一難去って又三難と表現するのがピッタリの状態で,なかなか投稿する気分にはならなかった。

でも今日こそは重い腰を上げよう。WOLについてはまだ激動の最中なので現状を語ることはできないが,まったく次から次にいろいろなことが起こる。想像だにしなかったこともある。その原因は抽象的にいえば,善意,悪意とりまぜて,多くのプレーヤーが,自分の立ち位置(利害)からWOLを自分にとって最善なようにオペレートないしコントロールしたいと思うからであろうか。でもそうすると,どうしてもWOLの格納庫が,羽田空港に飛来するBJ機が再び安全・快適に飛来していける整備格納の拠点として歩んでいかなければならないという前提がおざなりになってしまう傾向がある。だれも二兎は追えないが。

でも次回,WOLについて語るときは,明るい未来について語りたい。

私の救い1

今の私の救いは,劇的な展開を遂げつつある「科学」だ(いまでは,本当は「宗教」である「科学的社会主義」の「科学」ではないよ,というような冗談も,通じる人はわずかになってしまった。)。

例えば私の枕元にはだいぶ前から「nature科学 系譜の知 バイオ(生命科学)、医学、進化(古生物) 」が置いてある。同じシリーズには,「nature科学 未踏の知 地球(地球文明)・環境・宇宙」,「nature科学 深層の知 物理数学・物理化学・工学・ロボット」がある。これを時折めくるだけで私には至福の時間が訪れる。その新しい知見に圧倒される。でも理科系でない文化系「科学オタク」としては,次の2点についてコメントしたい。

ひとつは,だいぶ以前だが,「超能力」を擁護するスタンスとして,「科学ではまだ分からないことがある」といういうようなことがいわれたが,実はそんなのは当たり前で,現在の科学で分かっていることがほんのわずかで,分からないことだらけ。しかもこれまで分かっているとされたことも,七転八倒状態で,日々見直されているという方がが正しい。あまり動かないのは,何個かの思考規則(数式)とこれに基づいて記述されるある範囲の自然の現象ぐらいではないだろうか。だから今の「科学」は本当に楽しい。

そうはいいながら学者と称する「科学」の担い手は,自分が関わる「最新の科学」を絶対視する抜きがたい習性を持っている。自分が関わっている「科学」もまた激動やむなきその「科学」の一員であるという第3者には当たり前の感性が,どこかに飛んで行ってしまう。だから「科学」の知への応用,現実への適応は,異分野の素人が参加して行うのがいい。可能ならばだが。

久しぶりに確認したくなったが,このような問題を考える出発点となる最近の本は,「哲学入門」(戸田山和久:ちくま新書。KINDLE版も出ている。),次に,玉石混交だが,ある種の核心をついてしまった「データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」(矢野和男:草思社。これもKINDLE版も出ている。)だ。ついでに初めて取り上げる本だが「科学の眼で人の社会を観る 進化論的世界観」(市川惇信:東京図書出版。これもKINDLE版あり)は,発想は古色蒼然という感じではあるが,その前提でそれなりにピントが合っていると思う。

これからは,経済も,政治も,法律も,「科学」の洗礼を受けなければならない。率直に言って,床屋政談以上の本に巡り合うのはまれだ。でも「科学」が救いとは,あまり楽しくないよね。

私の救い2,3

私の救い2は,夏山だ。ほとんど毎朝,羽田空港でバスからモノレールに乗り換えるが,ザックを背負った登山者を多く見かける。本当にうらやましい。登山と言えば夏山で,登山口からある高度までは,汗だらけになって苦しいが,頂上に近づけば風も吹きわたり,その心地よさは経験者しかわからない。そう朝日岳がおもいだされる。と書いたものの,初心者のころは,ずっと苦しかったな。今も運動不足の極地できっと苦しいだろう。それでも夏山に行きたいが,残念ながら予定はない。

そして私の救い3は,言わずと知れた孫娘えみちゃん。えみちゃんを置いて夏山に行けるだろうか。少なくても2歳になった一番かわいい盛りに。

だから本当の救いは結局えみちゃんと見る山の本と科学本。

私の道はどこに通じているのだろう。

弘法山ハイキングと万葉の湯

弘法山からの富士山
弘法山からの富士山

昨日(2014年1月10日),奥さんと一緒に秦野「弘法山ハイキング」に出かけた。小田急線の鶴巻温泉駅と秦野駅の間に,100メートルかせいぜい200メートルくらいの裏山が連なっていて,弘法山はその一山で,鐘楼や釈迦堂がある。といっても全体が公園という方が良くそのイメージを伝える。初心者用の気持ちの良いハイキングコースだ。

めんようの里という施設には,羊が放牧されていて,レストランでは,ジンギスカンやバーベキューが楽しめるそうだ。孫娘用に要チェック。

私はこのコースは奥さんと2,3回,秦野駅から歩いたことがあり,鶴巻温泉の,「陣や」という旅館や,弘法の里湯では,日帰り温泉と食事が楽しめるが,秦野の万葉の湯には行ったことがなかったので,今回は逆コースを行ってみた。駅から駅までで2時間半ほどだ。秦野からだと最初150メートルほど上るので,初心者は,それなりの覚悟をしよう。

ここらあたりだと,横浜の我が家と比べてずいぶん,富士山が大きく見える。この日は日だまりハイクという言葉ぴったりの楽しいウォーキイングが楽しめた。

秦野の万葉の湯は初めてだが,横浜や小田原にもあって,湯河原温泉の湯を運んでいるそうで,気持ちの良い,素直なお湯が楽しめる。横浜や小田原は混んでいるがここはすいている。丹沢の登山客がたくさんいるとしても,鶴巻温泉にも東海大学前にも日帰り温泉があるので,競争が厳しいのかもしれない。それにここはタオルも,室内着(浴衣や作務衣)も用意されていて快適だし,食事もおいしいが,食事も含めて少し高い。そもそも登山客はあまりお金を落とさないから。

食事も室内着でできるので,いっぱいやりながら食事をし,そのあともう一度温泉を楽しんで帰路についた。

 

 

百名山はどこがよかったですか

私の登山歴

百番目の百名山 水晶岳(黒岳)
百番目の百名山 水晶岳(黒岳)

私が山に登り始めたのは,45,6歳の頃からで,典型的な中高年登山者である。休みの日にいつも自宅にごろごろしていて太るばっかりではつまらないねというノリだったろうか。だれから教わったのでもないが,街中のウオーキングから始め,やがて箱根,丹沢に登り,そのうちもっと高い山にも挑み始めた。最初は,箱根で雨具を着たときにも緊張したし,軽アイゼンもおっかなびっくりだった。それに,はじめの頃は癖になっていた右足の捻挫が痛くて,歩くのも辛いほどだった。それでも,だんだん登山にのめり込み,(文字どおり)毎週のように出かけるようになった。出かけないのは,よんどころない用事があるか,痛風か風邪か二日酔いで動けなかったときぐらいだったろう。

それで最近まで私は「日本で一番山に行っている弁護士」を自称していた。多分それはある時期真実だったろう。ただ所詮,最近目覚めた中高年登山者なので,レベルは初中級ないし中級の下どまりだった。だから「弁護士になって滅多に山に行かなくなった。」といっている登山部出身の弁護士とは残念ながらレベルが段違いであることは,十分に自覚していた。それでも大学のワンゲル部にいた娘と,都岳連の冬山講習会に参加し,風雪降り荒ぶ冬の硫黄岳に登ったり,富士山で滑落停止訓練をしたことはいい思い出だ。登山関係の本やDVDも山のように買い込んだ。その程度の心がけはあったのだ。都岳連の岩山講習会にも誘われたが,生来鈍くさい上に,何せ体重が・・。それまでにも何度かクライミングもしてみたが何せ体重が・・。都岳連の岩山講習会に行くと,当然,西穂高-ジャンダルム-奥穂高レベルの山にも行くようになるから,その頃でも二の足を踏むしかなかった。実際,岩山講習会出身者の遭難の話も漏れ聞いていた。

百名山完登の栄光と挫折

話を元に戻すと,そのうち,最初は私など到底無理だと思っていた百名山にも登るようになった。最初に登った百名山ははっきりしないが,弁護士会の委員会の関係で鹿児島に行った帰りに寄った霧島(韓国岳)かも知れない。あるいは蓼科山かも知れない。最初は百名山全部に登るなどとは夢にも思わなかったので,記録もとっておらず,カメラはもともと苦手なので,持っていかないことも多い。眼と体に刻めばそれで良し・・もっともたいていの場合下山して大酒を飲むので,多くの体験,風景は記憶されることなくそのまま流れ去ってしまうことも多い。

しかし山の魅力とは別に,何かを虱潰しに消していくことには,ゲームのようなおもしろさがある。私はそれにのめり込み,いつしか百名山完登を目指すようになった。ただ,百名山に登るには,体力以上に,時間も金もかかる。私はたまたまその時やっていた仕事が比較的時間をとりやすく,他の人の協力もあって事務所も何とか回っていたので,目指すことが出来た。土日で登れるのなら誰でも目指せるが,関東地区を離れると基本的には土日では無理で,金曜日に出発することが出来ると,登れる山の範囲はずっと広がる。私は当時恵比寿ガーデンプレイスに事務所があったが,金曜日の朝,ビルに登山靴,ザックで入り,昼前には出かけるということを繰り返していたが,人の眼にはさぞ異様に映ったろう。

私はよほど山に魅せられたのだろう,百名山に限らず,並行して多くの山に登っている。関東周辺の箱根,丹沢,奥多摩,奥武蔵,秩父,奥秩父,富士五湖周辺,八ヶ岳の山はほとんど登っている。深田久弥の選定ではないが,二百名山,三百名山というのもあるが。二百名山は三分の二,三百名山も半分は登っているだろう。残っている山のほとんどは,アクセスが不便な場所にあり,私は車を運転しないから,公共交通機関+登山口への往復タクシーを利用するだけではいけない山である。もちろんタクシーを何日もチャーターすれば可能だが,それではお金がいくらあっても足りない。私は可能な限り,二百名山,三百名山にも登ろうとは思っていいたが,これを完登する気は最初からなかった。

ところで登山口へのアクセスは,鉄道駅からバスがほとんんどだが,その頃はまだバスも多く走っており(多くが廃止されるようになったのは最近だ。コミュニティバスというのもほとんどなかった。大菩薩くらいかな。),山溪から毎年登山用のバス時刻表が出ていて,それは私の何よりの愛読書だった。バス時刻表とネット検索を駆使して最良と思われる登山計画を立てるのは,本当に楽しかった。実際,宿泊場所や切符の手配ができれば,登山のほとんどは出来上がっていて,実際,あとは歩くだけだ。

百名山の百番目は,2009年8月に息子と一緒に黒岳(水晶岳)だった。このときはもう一つ残っていた笠ヶ岳に登り,三俣蓮華,鷲羽山,黒岳,烏帽子岳から高瀬ダムに下りるコースだった。これはなかなか充実した素晴らしい縦走だった。息子と,100名山の最後を登り,娘と冬山に登る。酒好きのグータラな父親としては,登山をしなけば,考えてももいなかった「幸せ」だ。孫娘のえみちゃん,じいじと,山に行きましょう。

単独登山は避けるという常識がある。確かに難しい登山や人が余り行かない山はそうだろう。でも職場で行くのでない限りなかなか他人と予定を調整して計画を立てるのは困難だ。だから私はほとんど単独行だ。それに何より,歩くペースは人によって違うし,同じ人でも状況によって違う。私は,基本的には最初はゆっくり歩き,中盤はそこそこピッチをあげ,終盤疲れてきたら自然に任せるというところだろうか。自分でペースを主導出来るとか,調整出来るときはいいが,ツワー登山のように,とにかく合わせなければならないときは,自分の力量が相当上でないと辛い。だから登山は,単独行の方が楽しい。

私はどちらかというと上りは速く,下りは遅い。いや,一時は登りは,プロ,セミプロを除けば,「トップクラス」を自称していた。私が今,唯一人に自慢するのは,鹿島槍で,朝,赤岩尾根から登り,鹿島槍に登って,結局,冷池山荘にも,種池山荘にも泊まらず扇沢におり,その日のうちに,バス,新幹線で,横浜に帰ったことだ。まあ素人登山家の栄光の日々だ。

また話を戻して,私が百名山で単独行でなかったのは,息子といった最後の登山は除くと,ツワー登山に参加した,一人では計画がたてにくい北海道の利尻岳,幌尻岳,四国の2山を一度に登った剣山,石鎚山,一人だと怖そうな剱岳,アクセスが難しい皇海山だ。それと宮之浦岳には家族で屋久島に行き,娘と一緒に登った。そうだ,トムラウシには友人のH君と登った。それぐらいだろうか。

このようにして,最初から7,8年の2009年に百名山を完登したが,その後は,長期の挫折の日々ということになる。2010年には,やはり息子を連れて苗場山に行っているし,いつだったか,小淵沢の観音平から,編笠山,権現山を通って,観音平に戻る周回コースを短時間で歩いた記憶もある。しかし,その外にどうもあまり高い山に登った記憶がない。それどころか最近は,体重は減らないまま,大山でも,明神ガ岳でもヒイヒイいっていると,どんどん抜き去られる。時々奥さんと話すのだが,「百名山完登者」と染め抜いたTシャツでも作ろうか?逆効果だろうな。

百名山はどこがよかったですか

長い前置きが終わった。

さて,山はどこでも,天気がよくて眺望がよければ快適だ。そういう意味では,たまたまその時(何回も行った山もあるが)眺望がよかった山が思い浮かぶ。十勝岳,トムラウシ,聖岳,瑞牆山等々。

高層湿原の山も最高だ。平ヶ岳,巻機山,苗場山等々。

朝日,飯豊はとにかく縦走が楽しい。

北アルプスの山は,そのすべてが素晴らしい。

というわけで,百名山はすべて素晴らしい,というのが結論だ。

つまらない山はなかったですか

ないけれど,一点だけ。私は奥白根山については,間違えて山頂を踏んでいないのではないかと思う。あとで山頂の写真を見て気がついた。奥白根山は素晴らしい山だからもう一度登って見たいが,山頂を踏むだけのために行く気にはならない。だれか一緒に行きますか。

最後に

登山靴は踝を覆うトレランシューズにしてから随分楽になった。でもこれで,塩見岳から間ノ岳,農鳥岳を通って奈良田に下りているから,土砂降りでない限り不便はない。ザック(荷物)も軽いほどいい。

あと,雨具,ヘッドランプ,ツェルトは必須だが,最近は,低山なのでどれも持っていないことが多い。でも少なくても,雨具,ヘッドランプは持っていかないと,低山でも困ったことが起きる可能性がある。自戒・・

私は山頂に長く止まることをしない。食事をするとしてもせいぜい10分か15分だ。途中もできるだけ速く通過する。結局の所,安全のためにはこれが一番だと思っている。ましてや山頂でビールなど絶対に飲まない。その分,下界のビールが美味しい。もっとも山頂の山小屋に泊まるときは浴びるほど飲む。高山ではアルコールが速く回るというが訓練次第だ。でも山頂のビールは高いから飲み過ぎには注意しよう。

「山の名作読み歩き」を読む

山の名作読み歩き 山の文章世界の道しるべ YS003 (ヤマケイ新書)
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一口コメント

帯にあるとおり「豊かな山の世界を綴った紀行,記録,エッセー,詩歌のアンソロジー」である。53編も収録されているそうだから1編当たりは抄録も含めて短いものだが,それだけに相応の経験のある山好きには次々とめくるめくような世界が展開されていてたまらないが,この世界に乗れない人にはつまらないかも知れない。

また見慣れない作品も多いが,編者の「固まった既成概念で選ぶのではなく,もっと自由に羽ばたいてみたい」結果なのだろう。

ついでに書くと,実際の本の副題は「読んで味わう山の楽しみ」なのに,Amazonでは「山の文章世界の道しるべ」となっているのは不思議だ。

私的メモ

この本は,手にとって味わってもらえばいいので,あまり私が書くべきこともないが,一つだけ取り上げてみよう。

「山に忘れたパイプ」(藤島敏男)

藤島敏男は名前しか知らなかったが,紹介されている白砂山は,私は2回ぐらい計画したが,未だに登っていない山だ。最寄り駅の長野原草津口から夏の短い期間バスが出ていて,車を運転しない私はその期間しか登れないが,残念ながら過去の計画は流れてしまった。それと,八間山を回ると帰りのバスの間に合うかという問題もあったように思う。花敷温泉に泊まればいいのだが,だいぶ距離がある。

藤島は花敷温泉から白砂山に登っている。野反池が素晴らしく,何度か訪れている,。のちに白砂山から佐武流山へ尾根伝い,苗場山へ抜けたが,「野反湖と池から湖に昇格(?)した野反は,北端に堰堤が築かれて,見る影もないただの貯水池に変わり果てていた」と書いている。その思いは手に取るように分かる。でも,白砂山,佐武流,苗場山というのは,素敵なコースだ。今は荒廃して行きにくいようだが,藤島の頃だってそんなに立派な登山道があったわけではないだろう。

ところで「山に忘れたパイプ」というのは雪道で休憩したときにパイプを置き忘れ旅館の若者が探しに行って見つけ届けてくれたという話だが,藤島は日銀に勤めていて「仕事も遊びも誤魔化しを嫌い,手厳しかった」ことから「あの藤島が忘れものをするわけがない,拾ったパイプ,の間違いだろう」と揶揄した人がいるそうである。笑える。

次に収録された作品名と作者の一覧を載せておく。

収録された作品と作者

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