ノートパソコン「Jumper Ezbook 3L Pro」を買い,SSD120Gを増設する

ノートパソコン「Jumper Ezbook 3L Pro」を買った

自宅にDELLの32G ROMのパソコンがあるが(USBカードをHDとして増設しているが,いささか面倒だ。),32GではUSBを使ってもなかなかWINDOWS10のアップデート(更新)がうまくいかず,何回もやり返し,結局インストールしているソフトをほとんどアンインストールしてやっとアップデートすることができた。こんなことをやっていてはストレスがたまるだけなので,かねがね「安い」 ノートパソコンを買おうと思っていて,目を付けたのが,中国製の「Jumper Ezbook 3L Pro」である。たまたまAmazonでセールだったようだが,3万7000円弱である。ネットの評判も悪くない。

Amazonの記載によると,「ハードウェア:正規Windows 10 64bit Intel Apollo Lake N3450 1.1GHz CPU 優れたデータ転送機能 ビデオを流暢に見ることができ 低消費電力でもうまくいきます。メモリ:6GB DDR3L RAM and 高速起動eMMC 64GB M2 SSD スロット搭載、自由にSSD容量を拡張でき、最大128GBのTFカード:タブレットがスムーズに動作できます。ネットワークから好きなものをダウンロードして保存できる巨大なストレージ容量を備がえています。スクリーン:14.1インチ IPSベーゼルレスデザインされたスクリーン8mmの狭いフレーム16:9 FHD 1920*1080解像度 Intel HD Graphics 500 GPU高解像度の超大画面に緻密で細部まで描写、美しく鮮やかなカラーを再現するディスプレイ。デュアル高速無線LAN 802.11 b/g/n & 2.4GHz+5Ghz、Bluetooth (機内モードon/offボタン付)、内蔵マイク、9600mAH 大容量バッテリ 最大10時間連続しようでき、小型サイズで、持ち運びやすくて外で仕事しても勉強してもらくらく.9600mAh大容量バッテリーと低消耗電源コントロールで、1回の充電で最大10時間使用可能です。6-10時間連続のゲーム、6-10時間の連続視聴ができる」だそうである。

まともな性能で,値段も安く,「自由にSSD容量を拡張でき、最大128GBのTFカード:タブレットがスムーズに動作できます」というのだから,魅力的である。

二つの問題

さて購入後,翌日,商品が手元に来る。そして今日の時点で120GのSSDを増設し,つつがなく稼働している。しかしここまでくるのに若干の問題もあった。詳しい「説明書があると書いてあったのだが,多国語翻訳された簡単なもので,あまり役に立たない。

まず最初,WINDOWS10のアップデートが「無効」という表示が出てうまくいかない。有効にする方法が分からない。何回か,足踏みしたが,結局,これを有効にする方法を検索して見つけ,ほどなく解決した。

すこし手間取ったのが,SSDの取り付けである。SSDにも何種類かあるようで,検索してみるとどうもSSD M.2 2242というものらしいので,これをえいやっと購入(5500円弱)。その際,どうも120Gが上限というような記事も見つけたので,それに従った(商品説明の「 SSD スロット搭載、自由にSSD容量を拡張でき、最大128GBのTFカード:タブレットがスムーズに動作できます」というのはどういう意味なんだろうか。)。
そしてこれもネットの記事に従い,下の小さなカバーをはずそうとしたが,100均のドライバーではうまくいきそうになかったので,改めて精密ドライバー(ZENKE 63in1精密ドライバーセット 57種ビット 磁石付き 修理工具 (ブラック)。これを中国製)なるものを購入したが,これの使い方が分からない。そこでこれもネットで検索し,この商品の使い方をきちんと説明しているサイトを見つけたものの,60数種類の中のどのビットを使ったらいいかがわからない。でもねじはどうもプラスに見えるので,適当に選んでやってみると,OK。カバーを外せば,取り付けは,多分こうだろうという方法でOK。無事にカバーを閉じ,記憶域を確保するプロセスを実行する。

以上の過程を経て,無事に,ROMとして,eMMC64GB+SSD120Gで使用できるようになった,

多少ひやひやしたが,こんなもんだろう。4万円ちょっとでこれは安い。なお,Jumper製のノートパソコンには,若干の違う種類もあるようで,値段にも多少ばらつきがある。私が購入したこの製品は,最新で,ほぼ最安値だと思う。

今,中国のIT関係の技術と,安価で製造する底力はすごい。おって深センの実態を描いた「ハードウェアハッカー~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険」を紹介しよう。

ノートパソコン PC ラップトップ WIN10 6GB RAM+64GB ROM Intel Apollo Lake N3450 14インチ 1920*1080 FHD デュアルWIFI BT4.0 HD (2018)

總持寺で「仏教音楽祭」を聞く

仏教音楽祭~流音月聲~

ここのところ一心に取り組んでいた書面書きが昨日の16時45分にやっと終わり,提出することができたので,今日(2018年11月10日)は,かねて誘われていた總持寺で行われた「宗派を超え,五大へ響く仏教音楽祭~流音月聲~」を聞きに行った。全日本仏教青年会全国大会と同時に開催された催しのようで,總持寺の境内ではお坊さんらの様々な内容のテントのブースが開かれていた。私は少し早く行き,レトルトの精進カレーを買い,野菜ラーメンを食べた。

内容は2部からなり,前半は「西川悟平ピアノ&トーク 奉納コンサート」,後半は「仏教音楽祭~流音月聲~」である。実は私は事前にその内容を全く把握しておらず,パンフもみなかったので,白紙で聞き始めたのだが,西川悟平さんの,ピアノとトークには本当に感銘を受けた。

西川悟平さん

西川さんは,ピアニストとしての修行中の30歳の時,ジストニアと診断され,最初は指が全く動かなかったがそれを克服して徐々に使えるように克服していったもののそれでも限られた指しか使えず,「7本指のピアニスト」と呼ばれているそうだ。そのことは,言葉は悪いが「そうですか」と言うしかないが,西川さんはその行動力を関連分野にもどんどんぶつけて事態を切り開いていく,その姿に感動させられる。例えば西川さんは,ニューヨーク在住でその住まいに「泥棒」に入られ脅されたが,震えながらも率直なやり取りをする中で,最後はピアノを弾き,泥棒らが家を直してくれたこと,その後,その時の希望をかなえ,カーネギーホールで開かれたコンサートに呼んだこと。いじめにあって自殺したアメリカの子が作った曲を演奏することを頼まれてその両親のところに行き,その子の部屋で一晩過ごしたり,その曲を映画で使うときに両親を日本に呼んだこと。その他,話される西川さん一つ一つの行動が思わぬ展開をするにつけ,自分の思いをぶつけて事態を切り開いていっていることがよくわかる。さて,私はどうしたらいいのか。なお「西川悟平,動画」等で検索すると,西川さんの活動が描かれたドキュメンタリーやその他の情報が得られるので,ご覧になることをお薦めする。

仏教音楽祭

後半は,7つの仏教団体の,主として声と太鼓,法螺,雅楽等の演奏に,男性俳優の女装の踊り,演奏家の,和太鼓,三弦,二五弦筝が加わり,多様な展開があって楽しかった。ただ,私は,例えば真言宗系の読経はそれ自体が美しく感動的なことを知っていたので,今回の演奏は衝撃とまではいえなかった。

最後に主催者のいかにも仏教家らしい挨拶があり,参加者で般若心経の読誦をしたが,なんと途中で詰まってしまった,昔はすらすらだったのに。

ただ,青年僧たちが,「世界平和祈念」と題してこのような活動をしていることには感動を覚える。今の世界の宗教の多くは平和を忘れているし,我が国のほとんどの人もこのことを忘れつつあるようだ。今後とも活動が発展していくことを期待したい。

立山が呼んでいる

淡路町にある立山

私は時々,アフターファイブに,事務所の近くにある「しんえつ」という富山料理を出す居酒屋さんに行く。特に5時から1時間半ほどの「しんえつアワー」では,飲み物が280円?で飲めるし,お刺身や料理も安くて素敵なお店なので,早い時間からいっぱいになっていることも多い。ただし私は「しんえつアワー」が終わるとさっさと帰るという「困ったちゃん」だ。

そこのトイレに,だいぶ前から室堂平のみくりが池のポスターが貼ってある。私は,室堂平に,4,5回は行っているだろう。特に妻,息子,娘の4人で行き,山小屋に泊まり,みくりが池温泉に入り,立山三山を縦走したり,弥陀ヶ原を散策したのは,いい思い出だ。ポスターを見るたびに,立山を思い出していた。

地獄谷

ところでこの何日か,Webの記事にあれこれ手を入れていて,ふと以前のブログ「山ある日々」で室堂平の地獄谷のことを書いたことがあるのを思い出したので,早速探してみた。2010年9月の記事だった。これは面白いし,なにがしかの資料的な価値があると思うので転載しよう。

立山室堂平に,地獄谷という所がある。地獄谷は,立山火山の爆裂火口 で,比較的平坦な窪地に,硫黄の臭いがたちこめ,荒涼とした地肌に多くの噴気孔があり,水蒸気を噴出している。もちろん有毒である。遊歩道を通る限り安全だが,長居は無用だ。

今から7,8年前だろうか。ようやく登山に慣れはじめた頃,立山に登り,その折,地獄谷にも立ち寄った。地獄谷は,室堂平のターミナルからも比較的近いのでそれこそよくみる旗を持ったバスガイドが観光客にこの谷のことをあれこれ説明していた。それを聞くともなく聞いていると「馬鹿な弁護士ですね。」と言っているのが聞こえた。何のことかすぐには理解できなかったが,もう少し近寄って聞いてみると,「大分前だが,地獄谷の噴気孔の湯だまりに露天風呂代わりに入って死んだ人がいる。危険だからやめましょう。皆さんはしませんね。その人は弁護士で,遺族が裁判を起こして負けたそうです。」,「馬鹿な弁護士ですね。」という説明だった。

そのときは,作り話だろうと思っていたが,あとで思い出して裁判例を調べてみると,実際にあったことだった(訟務月報46巻9号3598頁)。

事実関係と判断のポイントは「本件事故は,Hが,本件遊歩道から通路もない斜面を下り,強い硫黄臭がしていて,人の手が加えられた露天風呂でないことが一見して分かる湯溜まりⅡに露天風呂代わりに入った際に生じたものであり,加えるに,Hは,ひまわり山歩会に所属し,月一,二回の広島県内での登山のほか年に三回ほどは県外で泊まりがけの登山を行い,温泉を利用することも多く,温泉好きであったのであるから,硫黄臭の強いガスが有毒なものであることが多いことを認識していたか,容易に認識することができたはずなのに,あえて,危険を犯して湯溜まりⅡに入ったものというべく,そうすると,被控訴人国は,湯溜まりⅡにおいて本件のような事故の発生する危険性を予測することができなかったものと認められる。したがって,被控訴人国が,前記のような柵等を設置するなどの措置を採っていなかったことをもって,直ちに本件遊歩道の設置又は管理に瑕疵があったとはいえない。そして,その他,本件遊歩道の設置又は管理に瑕疵があったことを根拠付けるに足りる事実は,本件証拠上これを認めることができない。」。

今(2010年9月),地獄谷には,頑強な柵等が儲けられているが(そして,投稿時(2018年7月時点)では,地獄谷は立入り禁止になっているようだ。),当時は,そういうものはほとんどなかったろう。ふらふらと湯溜まりに入って露天風呂気分を味わいたいのも分かるが,登山家は安全性の判断もせずに,それをしてはいけない。

ただこれが普通の観光客だったらどうだろう。自然と管理の問題は難しい。

ご遺族には気の毒だが,この判断は妥当だと思う。山好きの弁護士として身につまされるが。

湯坂道は冬山だった

「梅は咲いたか,桜はまだか」と浮かれていた私のお腹を見て,孫娘は「運動すること。お酒を飲まないこと。」と厳命する,指切りげんまんまでさせられた。

私もお腹のことはかねがね気になっていたので,本当に久しぶりだが,初心者のリハビリ山歩きコース,箱根の湯坂道に行くことにした。もう一年以上前だが,大山に行って,下りの階段でひざを痛くし(体重のせいだ!),山歩きから遠ざかっていた。
 
湯坂道は,箱根湯本から,湯坂山・浅間山・鷹之巣山を経て,芦之湯へ下り,箱根峠を経て三島に至る道だそうだ。阿仏尼の「十六夜日記」にも出てくる。

路箱根湯本の日帰り湯「和泉」のすぐ先から登り始める。歩くルートは,芦之湯に下るために国道一号線に出るのでそこのバス停で終わるか,直前で左折すると飛竜の滝を経て畑宿に下るのでそちらを行くかどちらかだ。いずれも帰りのバスを拾う問題があるし,少し歩く時間が短いので,湯坂道を往復してもいいなとも思った。すぐに,日帰り湯に入れるし。

湯坂道は,最初は荒れた少しきつい上りが続くが,30分くらいで湯坂城址の説明書きがあるところを通過すると,あとはほぼなだらかな上りで(ただし最後の鷹之巣山を挟んで,割と厳しいアップダウンがある。),誰でも楽しめる道だ。春の桜,秋の紅葉は最高だ。ゆっくり歩いて3時間のコースだ。

さて今回は少し雪が残っていることも考えられたが,上りだし,軽アイゼンはいらないないだろうと判断した。

やはり途中から雪が現れ,少し凍っているので,どうしても歩くのがゆっくり目になる。しかも,私はいつものトレランシューズだし…と言い訳するのは,途中で若者3人組がすたすた抜いていったからだ。「昔は上りでは,セミプロ以外には抜かせなかったのに,しかし彼らは,そうは見えないなあ。」とぶつぶつとつぶやくが,今日は先が長い。当然だが,雪は上に行くほど増えてきて,なかなか大変だ。

やっと。浅間山を過ぎたが(といっても,特に山頂はない。),鷹之巣山に向かう下りあたりから,強風が吹きつけるようになった。下は凍り,手袋も,耳当てもないので,厳冬の山歩きそのものだ。多分体感温度は零下10度くらいではないか。

鷹之巣山へは,急なⅠ00メートルくらいの上りがある。昔は,ここの上り下りは歩きにくくて本当に大変だった。少し前に,木の階段が設置されたので,ゆっくり登ればなんとかなったが,ここが前のままだったら,どうしただろうか。雪が予想されるときは,安全のために,軽アイゼンは持っていたほうがいいなあとあらためて思ったのであった。

国道一号線に出たが,引き返してもう一度湯坂道を下るなどは全く考えず,バスで箱根湯本へ。どうしても湯元前で,バスは動かなくなってしまう。出発点の日帰り温泉「和泉」に行く。単純泉だが「和泉」の湯は本当に気持ちがいい。

お酒も飲まず,3時過ぎには自宅に帰ることができた。

さわやかな初夏のお出かけ

お出かけ

私は毎週土日は,かならず孫娘の惠美ちゃんとお出かけをする。昔の大家族だと,子どもは家族や近所付き合いの中で自然に芋を洗う?がごとく育っていったのだろうが,現代の子育ては少数で意識的に対応せざるを得ず,なかなか大変だ。それでも彼女には,母親,祖父(私),祖母,曾祖母,大叔母がいて,入れ替わり立ち替わりかわいがってくれるが,週末にはみんな疲れてくるので,土日は私が彼女の「教育係兼お楽しみ係」として,最低目標4時間のお出かけをする(含む,複数回のおむつ替え)のがここ数ヶ月の定例だ。その間,母親(娘)と祖母(妻)はしばしの休憩をとれるはずだが,実際は,惠美ちゃんを原因として生じた様々な混乱の片付けに追われている。でもそのうちに落ち着くだろう。

赤ちゃんというのは,興味の対象が次々と移っていく。彼女は小さい頃はおもちゃのお金の財布への出し入れ,飛行機ブーン,階段の上り下り,滑り台等々について,何回となく反復継続することに凝っていたが,最近は自然の中を気ままに歩き回ったり,大人にだっこさせて移動させたりするのが大好きだ。しかも私に要求するだっこは,理不尽にも前向き前だっこだ!歌は「サイタ,サイタ」を繰り返し,片言は「ワンワン,ニャンニャン」から,最近は,いよいよ「アンパンマン」だ。生まれてから,もうすぐ2歳になる今日まで,食べることと,体を張ることは,一貫して大好きだ。

横浜イングリッシュガーデン

先週の土曜日(23日)は,薔薇のきれいなイングリッシュガーデンに行った。先々週の日曜日にも前まで行ったのだが,余りの人出に恐れおののいて,出直したのだ。イングリッシュガーデンは,彼女(及び私)の相当のお気に入りで,寒くてほとんど何もない時期でも,彼女は歩き回るのが好きだ。今年になって何回行っただろう。

この時期の薔薇は本当に美しいが,どうも彼女は小さな花には敏感だが,大きな花は余り目に入っていないような気もする。人出が多くても会員になればすぐに入れるので,この日3000円を払って会員になった。これからますます行く回数が増えるだろう。

イングリッシュガーデンは,tvkハウジングプラザ横浜の中にあるがここも屋台(車)がでているし,展示している「家」の間で遊ぶのも楽しい。祖父(私)と祖母(妻)が,2週にわたってアンケートに答えて,バンビちゃんとワンワンさんをゲットした。隣接してヨコハマくらし館があり,ここには「ちびっ子ハウス」?があって,雨の日も時間がつぶせる。

近くにはサミットスーパーがあって,お弁当を買ったり,イタリアンでスパゲティやリゾットを食べたりするのも楽しみだ。だからこのエリアは,私もお気に入りだ,でも,このエリアから自宅まで歩いて帰ろうとすると,途中には,公園,神社等々があって,なかなか自宅に帰りつかない。だから,孫娘が眠くなった時を捉えて,タクシーで帰ることもある。この日は実は妻も同行,お疲れさん。

アンパンマンミュージアムと臨港パーク

日曜(24日)は,みなとみらいにある,アンパンマンミュージアム臨港パークに行った。アンパンマンミュージアムはこれまで何回も前を通ったことはあったが,最近,上述したように片言の「アンパンマン」が始まったので,どんなもんだか様子をうかがいにはじめて中に入ってみようと思って行ったのだが,10時過ぎには長蛇の列で,早々に断念。ショップだけ見たが,ここで彼女は長時間にわたって,歌の絵本の念入りチェック。歌の絵本とおもちゃの電話を買い,ついでにアンパンマンパン,カレーパンマンカレーパン等をお昼に備えて購入。しかしパンはそれぞれ,300円以上,いい商売をしていますなあ。当たり前ですが,アンパンマンパンはアンパンでした。

お勧めは臨港パークだ。広い公園で,芝生,石畳,海と波とベイブリッジ,売店で簡単な食事もできる(おにぎりは,焼きおにぎりだ。)。二人で転げ回って遊んだ。彼女はお砂遊びが好きだが,手に付いた砂を,最低5回は私のよそ行きのズボンにこすりつけて満足そうだった。なんて子だ→(翻訳すると)なんてかわいい子だ。

もうすぐ梅雨入りかも知れないが,雨の時の手持ちカードはいささか不足気味だが,二人で乗り切ろう。

弘法山ハイキングと万葉の湯

弘法山からの富士山
弘法山からの富士山

昨日(2014年1月10日),奥さんと一緒に秦野「弘法山ハイキング」に出かけた。小田急線の鶴巻温泉駅と秦野駅の間に,100メートルかせいぜい200メートルくらいの裏山が連なっていて,弘法山はその一山で,鐘楼や釈迦堂がある。といっても全体が公園という方が良くそのイメージを伝える。初心者用の気持ちの良いハイキングコースだ。

めんようの里という施設には,羊が放牧されていて,レストランでは,ジンギスカンやバーベキューが楽しめるそうだ。孫娘用に要チェック。

私はこのコースは奥さんと2,3回,秦野駅から歩いたことがあり,鶴巻温泉の,「陣や」という旅館や,弘法の里湯では,日帰り温泉と食事が楽しめるが,秦野の万葉の湯には行ったことがなかったので,今回は逆コースを行ってみた。駅から駅までで2時間半ほどだ。秦野からだと最初150メートルほど上るので,初心者は,それなりの覚悟をしよう。

ここらあたりだと,横浜の我が家と比べてずいぶん,富士山が大きく見える。この日は日だまりハイクという言葉ぴったりの楽しいウォーキイングが楽しめた。

秦野の万葉の湯は初めてだが,横浜や小田原にもあって,湯河原温泉の湯を運んでいるそうで,気持ちの良い,素直なお湯が楽しめる。横浜や小田原は混んでいるがここはすいている。丹沢の登山客がたくさんいるとしても,鶴巻温泉にも東海大学前にも日帰り温泉があるので,競争が厳しいのかもしれない。それにここはタオルも,室内着(浴衣や作務衣)も用意されていて快適だし,食事もおいしいが,食事も含めて少し高い。そもそも登山客はあまりお金を落とさないから。

食事も室内着でできるので,いっぱいやりながら食事をし,そのあともう一度温泉を楽しんで帰路についた。

 

 

百名山はどこがよかったですか

私の登山歴

百番目の百名山 水晶岳(黒岳)
百番目の百名山 水晶岳(黒岳)

私が山に登り始めたのは,45,6歳の頃からで,典型的な中高年登山者である。休みの日にいつも自宅にごろごろしていて太るばっかりではつまらないねというノリだったろうか。だれから教わったのでもないが,街中のウオーキングから始め,やがて箱根,丹沢に登り,そのうちもっと高い山にも挑み始めた。最初は,箱根で雨具を着たときにも緊張したし,軽アイゼンもおっかなびっくりだった。それに,はじめの頃は癖になっていた右足の捻挫が痛くて,歩くのも辛いほどだった。それでも,だんだん登山にのめり込み,(文字どおり)毎週のように出かけるようになった。出かけないのは,よんどころない用事があるか,痛風か風邪か二日酔いで動けなかったときぐらいだったろう。

それで最近まで私は「日本で一番山に行っている弁護士」を自称していた。多分それはある時期真実だったろう。ただ所詮,最近目覚めた中高年登山者なので,レベルは初中級ないし中級の下どまりだった。だから「弁護士になって滅多に山に行かなくなった。」といっている登山部出身の弁護士とは残念ながらレベルが段違いであることは,十分に自覚していた。それでも大学のワンゲル部にいた娘と,都岳連の冬山講習会に参加し,風雪降り荒ぶ冬の硫黄岳に登ったり,富士山で滑落停止訓練をしたことはいい思い出だ。登山関係の本やDVDも山のように買い込んだ。その程度の心がけはあったのだ。都岳連の岩山講習会にも誘われたが,生来鈍くさい上に,何せ体重が・・。それまでにも何度かクライミングもしてみたが何せ体重が・・。都岳連の岩山講習会に行くと,当然,西穂高-ジャンダルム-奥穂高レベルの山にも行くようになるから,その頃でも二の足を踏むしかなかった。実際,岩山講習会出身者の遭難の話も漏れ聞いていた。

百名山完登の栄光と挫折

話を元に戻すと,そのうち,最初は私など到底無理だと思っていた百名山にも登るようになった。最初に登った百名山ははっきりしないが,弁護士会の委員会の関係で鹿児島に行った帰りに寄った霧島(韓国岳)かも知れない。あるいは蓼科山かも知れない。最初は百名山全部に登るなどとは夢にも思わなかったので,記録もとっておらず,カメラはもともと苦手なので,持っていかないことも多い。眼と体に刻めばそれで良し・・もっともたいていの場合下山して大酒を飲むので,多くの体験,風景は記憶されることなくそのまま流れ去ってしまうことも多い。

しかし山の魅力とは別に,何かを虱潰しに消していくことには,ゲームのようなおもしろさがある。私はそれにのめり込み,いつしか百名山完登を目指すようになった。ただ,百名山に登るには,体力以上に,時間も金もかかる。私はたまたまその時やっていた仕事が比較的時間をとりやすく,他の人の協力もあって事務所も何とか回っていたので,目指すことが出来た。土日で登れるのなら誰でも目指せるが,関東地区を離れると基本的には土日では無理で,金曜日に出発することが出来ると,登れる山の範囲はずっと広がる。私は当時恵比寿ガーデンプレイスに事務所があったが,金曜日の朝,ビルに登山靴,ザックで入り,昼前には出かけるということを繰り返していたが,人の眼にはさぞ異様に映ったろう。

私はよほど山に魅せられたのだろう,百名山に限らず,並行して多くの山に登っている。関東周辺の箱根,丹沢,奥多摩,奥武蔵,秩父,奥秩父,富士五湖周辺,八ヶ岳の山はほとんど登っている。深田久弥の選定ではないが,二百名山,三百名山というのもあるが。二百名山は三分の二,三百名山も半分は登っているだろう。残っている山のほとんどは,アクセスが不便な場所にあり,私は車を運転しないから,公共交通機関+登山口への往復タクシーを利用するだけではいけない山である。もちろんタクシーを何日もチャーターすれば可能だが,それではお金がいくらあっても足りない。私は可能な限り,二百名山,三百名山にも登ろうとは思っていいたが,これを完登する気は最初からなかった。

ところで登山口へのアクセスは,鉄道駅からバスがほとんんどだが,その頃はまだバスも多く走っており(多くが廃止されるようになったのは最近だ。コミュニティバスというのもほとんどなかった。大菩薩くらいかな。),山溪から毎年登山用のバス時刻表が出ていて,それは私の何よりの愛読書だった。バス時刻表とネット検索を駆使して最良と思われる登山計画を立てるのは,本当に楽しかった。実際,宿泊場所や切符の手配ができれば,登山のほとんどは出来上がっていて,実際,あとは歩くだけだ。

百名山の百番目は,2009年8月に息子と一緒に黒岳(水晶岳)だった。このときはもう一つ残っていた笠ヶ岳に登り,三俣蓮華,鷲羽山,黒岳,烏帽子岳から高瀬ダムに下りるコースだった。これはなかなか充実した素晴らしい縦走だった。息子と,100名山の最後を登り,娘と冬山に登る。酒好きのグータラな父親としては,登山をしなけば,考えてももいなかった「幸せ」だ。孫娘のえみちゃん,じいじと,山に行きましょう。

単独登山は避けるという常識がある。確かに難しい登山や人が余り行かない山はそうだろう。でも職場で行くのでない限りなかなか他人と予定を調整して計画を立てるのは困難だ。だから私はほとんど単独行だ。それに何より,歩くペースは人によって違うし,同じ人でも状況によって違う。私は,基本的には最初はゆっくり歩き,中盤はそこそこピッチをあげ,終盤疲れてきたら自然に任せるというところだろうか。自分でペースを主導出来るとか,調整出来るときはいいが,ツワー登山のように,とにかく合わせなければならないときは,自分の力量が相当上でないと辛い。だから登山は,単独行の方が楽しい。

私はどちらかというと上りは速く,下りは遅い。いや,一時は登りは,プロ,セミプロを除けば,「トップクラス」を自称していた。私が今,唯一人に自慢するのは,鹿島槍で,朝,赤岩尾根から登り,鹿島槍に登って,結局,冷池山荘にも,種池山荘にも泊まらず扇沢におり,その日のうちに,バス,新幹線で,横浜に帰ったことだ。まあ素人登山家の栄光の日々だ。

また話を戻して,私が百名山で単独行でなかったのは,息子といった最後の登山は除くと,ツワー登山に参加した,一人では計画がたてにくい北海道の利尻岳,幌尻岳,四国の2山を一度に登った剣山,石鎚山,一人だと怖そうな剱岳,アクセスが難しい皇海山だ。それと宮之浦岳には家族で屋久島に行き,娘と一緒に登った。そうだ,トムラウシには友人のH君と登った。それぐらいだろうか。

このようにして,最初から7,8年の2009年に百名山を完登したが,その後は,長期の挫折の日々ということになる。2010年には,やはり息子を連れて苗場山に行っているし,いつだったか,小淵沢の観音平から,編笠山,権現山を通って,観音平に戻る周回コースを短時間で歩いた記憶もある。しかし,その外にどうもあまり高い山に登った記憶がない。それどころか最近は,体重は減らないまま,大山でも,明神ガ岳でもヒイヒイいっていると,どんどん抜き去られる。時々奥さんと話すのだが,「百名山完登者」と染め抜いたTシャツでも作ろうか?逆効果だろうな。

百名山はどこがよかったですか

長い前置きが終わった。

さて,山はどこでも,天気がよくて眺望がよければ快適だ。そういう意味では,たまたまその時(何回も行った山もあるが)眺望がよかった山が思い浮かぶ。十勝岳,トムラウシ,聖岳,瑞牆山等々。

高層湿原の山も最高だ。平ヶ岳,巻機山,苗場山等々。

朝日,飯豊はとにかく縦走が楽しい。

北アルプスの山は,そのすべてが素晴らしい。

というわけで,百名山はすべて素晴らしい,というのが結論だ。

つまらない山はなかったですか

ないけれど,一点だけ。私は奥白根山については,間違えて山頂を踏んでいないのではないかと思う。あとで山頂の写真を見て気がついた。奥白根山は素晴らしい山だからもう一度登って見たいが,山頂を踏むだけのために行く気にはならない。だれか一緒に行きますか。

最後に

登山靴は踝を覆うトレランシューズにしてから随分楽になった。でもこれで,塩見岳から間ノ岳,農鳥岳を通って奈良田に下りているから,土砂降りでない限り不便はない。ザック(荷物)も軽いほどいい。

あと,雨具,ヘッドランプ,ツェルトは必須だが,最近は,低山なのでどれも持っていないことが多い。でも少なくても,雨具,ヘッドランプは持っていかないと,低山でも困ったことが起きる可能性がある。自戒・・

私は山頂に長く止まることをしない。食事をするとしてもせいぜい10分か15分だ。途中もできるだけ速く通過する。結局の所,安全のためにはこれが一番だと思っている。ましてや山頂でビールなど絶対に飲まない。その分,下界のビールが美味しい。もっとも山頂の山小屋に泊まるときは浴びるほど飲む。高山ではアルコールが速く回るというが訓練次第だ。でも山頂のビールは高いから飲み過ぎには注意しよう。

「山の名作読み歩き」を読む

山の名作読み歩き 山の文章世界の道しるべ YS003 (ヤマケイ新書)
大森 久雄
山と渓谷社
売り上げランキング: 221,220

一口コメント

帯にあるとおり「豊かな山の世界を綴った紀行,記録,エッセー,詩歌のアンソロジー」である。53編も収録されているそうだから1編当たりは抄録も含めて短いものだが,それだけに相応の経験のある山好きには次々とめくるめくような世界が展開されていてたまらないが,この世界に乗れない人にはつまらないかも知れない。

また見慣れない作品も多いが,編者の「固まった既成概念で選ぶのではなく,もっと自由に羽ばたいてみたい」結果なのだろう。

ついでに書くと,実際の本の副題は「読んで味わう山の楽しみ」なのに,Amazonでは「山の文章世界の道しるべ」となっているのは不思議だ。

私的メモ

この本は,手にとって味わってもらえばいいので,あまり私が書くべきこともないが,一つだけ取り上げてみよう。

「山に忘れたパイプ」(藤島敏男)

藤島敏男は名前しか知らなかったが,紹介されている白砂山は,私は2回ぐらい計画したが,未だに登っていない山だ。最寄り駅の長野原草津口から夏の短い期間バスが出ていて,車を運転しない私はその期間しか登れないが,残念ながら過去の計画は流れてしまった。それと,八間山を回ると帰りのバスの間に合うかという問題もあったように思う。花敷温泉に泊まればいいのだが,だいぶ距離がある。

藤島は花敷温泉から白砂山に登っている。野反池が素晴らしく,何度か訪れている,。のちに白砂山から佐武流山へ尾根伝い,苗場山へ抜けたが,「野反湖と池から湖に昇格(?)した野反は,北端に堰堤が築かれて,見る影もないただの貯水池に変わり果てていた」と書いている。その思いは手に取るように分かる。でも,白砂山,佐武流,苗場山というのは,素敵なコースだ。今は荒廃して行きにくいようだが,藤島の頃だってそんなに立派な登山道があったわけではないだろう。

ところで「山に忘れたパイプ」というのは雪道で休憩したときにパイプを置き忘れ旅館の若者が探しに行って見つけ届けてくれたという話だが,藤島は日銀に勤めていて「仕事も遊びも誤魔化しを嫌い,手厳しかった」ことから「あの藤島が忘れものをするわけがない,拾ったパイプ,の間違いだろう」と揶揄した人がいるそうである。笑える。

次に収録された作品名と作者の一覧を載せておく。

収録された作品と作者

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冬の里山歩きは鎌倉だ

冬は里山歩きだ

天園からの富士山
天園からの富士山

冬は,雪が積もっていたり,道が凍っていたりするので,できれば里山歩きか,初級の低山がいい。それでも下りは,軽アイゼンを付けたいときもあるが,さて今のトレランシュ-ズに付くかどうかも,試していない。去年だったか,いつものように最乗寺から明星が岳に登ったときに,下は何ともないのに,登るにつれてかなりの積雪(15㎝ぐらい。しかも凍っている。)となったので,帰ろうかとも思ったが,下手に引き返して下るのも危なそうだったので。そのまま頂上に行ったが,案の定(これは,多少強気だが),宮城野への下りは南面なのでほとんど雪がなく,難なく下ることができた。このときは,軽アイゼンを持っていなかったことを大いに反省した(早く付くかどうかを確かめよう。)。そうすると冬は,鎌倉の里山が手軽で,無難だ。

鎌倉のハイキングコースを歩く

鎌倉の里山歩きは,要するにハイキングコースを歩くといってよい。鎌倉には,大仏コース,祇園山コース,天園コース,衣張山コース,六国見コース,極楽寺坂コース,朝比奈コースの7つあるといわれている(紹介は,このページ。)私は,おおむね,大仏コース,祇園山コース,天園コースを歩く。元気なときはすべて行くし,今日はちょっとと,大仏コースだけの時もある。もちろん私は「コースつぶしマニア」のところもあるから,全部行った。金沢八景に抜ける朝比奈コースもなかなか素晴らしい。

4時間強の少しきついコースだ

2014年12月7日(日)は,前日お酒を飲まなかったので,うちを6時半に出ることができたので,7時30分に北鎌倉駅に着いて,すぐに出発することができた(鎌倉に行くときは,うちから保土ケ谷駅まで30分弱を歩き,電車が30分弱だ。)。

今日は,天園から市民の森を抜けて港南台に行き,そこでスポーツクラブのお風呂に入ろうとも思ったが,この日は太陽が昇るまでは本当に寒くて汗もかきそうになかったので,北鎌倉から,大仏コース,祇園山コース,天園コースを行通って,北鎌倉に戻ることにした。

7時半に北鎌倉駅を出て源氏山を経て大仏までが1時間(大仏コース),そこから祇園山コースの登り口の八幡神社まで30分,山道が30分,降り口から瑞泉寺までが30分,天園を経て建長寺ではなく(構内を通ると有料ということになっている。)明月院の方に下りて(天園コース),北鎌倉までが1時間40分。合計で,4時間強である。ゆっくり歩きしっかり休憩を取りたければ,5時間は見た方がいいかも知れない。天園からの富士山がとても大きく見えた日だった。

草履

草履を履いている
草履を履いている

天園から建長寺方面への半ばだったろうか,何人かの引率者に引き連れられた10人程度の子供の集団がいた。幼稚園から小学校1年生ぐらいだろうか,山道をしっかり素速く歩いていてとても感心した。引率の若い青年に「速いですね。」というと,「本当はもっと速いんです。」とまるで大人の「健脚自慢」である。早々に追い抜こうと思うと,私は見た。草履を履いている子がいる。しかも二人も。私は凍え上がった。

日向山を歩く

日向山から見た八ヶ岳
日向山から見た八ヶ岳

2014年最後の山行になるかどうか分からないが,11月30日(日)に北杜市にある南アルプスの前山の日向山に登った。

登山口まではずっと林道を行かなければならないので車がほぼ必須だが,北杜市在住の人に運転してもらって,3人での登山となった。

登山口から上り1時間半で,二日酔いでなければ楽に登れる。木々は完全に落葉していて,回りの山々の八ヶ岳甲斐駒ヶ岳もよく見える。八ヶ岳の裾野に広がる北杜市の町や村もよく見える。本当に美しい。

山頂はいわば一方に崩落していて(これが糸魚川静岡構造線と関係がある),登山道からいきなり絶景の中に飛び出す。しかも山頂は花崗岩が風化して白い砂となっており,歓声を上げるのもわからないではないが,ガイドブックどおりに歓声を上げていた4,5人の集団はいささかねえと思った。

砂の上を歩けるのだが,崩落しているので,万が一「転けたら」,どこまでも落ちていく。私は臆病なのが登山で生き延びる道だと思っているので,危なそうな所には一切近寄らない。特に下っているところは,くわばらくわばらだが,ある父親が4,5歳の男の子を励まして砂地を下らしていたのには,「ホーッ」というしかなかった。

私は日向山は初めてだが,どうも何回か登山を検討したことがあり,滝の方の道は下りはだめで,上りにとろうという会話をした記憶があって,ひょっとしたら小淵沢の人と登ったことがあるかも知れないと思っていたのだが,幻想だった。

帰りに行った白州の「尾白の湯」は何度行っても最高である。

写真はいまいちなので,かわりといっては何だが,春に鞍掛山にも登っている「日向山・鞍掛山とクモイコザクラ140531」という記事がすばらしい。