「図解 老人の取扱説明書」を読む

著者:平松 類

どこから「老人」を見るか

「老人」というと,「頭がぼけ(認知症),体を支えられなくなり,心もゆがむ」(いわば「全滅論」といえよう。)という固定イメージがある。誰だって,自分がそんな「老人」になるなんて思いもよらないはずだが,街中には,少なくてもそういうふうに見える「老人」があふれている。私もそろそろ60台半ばを迎えて,「老人」と見られる場面も出てくるはずだが,あまり「老人」の自覚はない。でもこれから一体,どうなるんだろう。そういう中でたまたま本書を手に取った。

本書(図解 老人の取扱説明書)は,老人の困った行動を16取り上げている。ここでは最初の8個をあげてみよう。

①都合の悪いことは聞こえないふりをする。②突然,「うるさい!」と怒鳴る,でも,本人たちは大声で話す。③同じ話を何度もする。過去を美化して話すことも多い。④「私なんて,いても邪魔でしょ?」など,ネガティブな発言ばかりする。⑤せっかく作ってあげた料理に醤油やソースをドボドボとかける。⑥無口で不愛想。こちらが真剣に話を聞こうとすると,かえって口を閉ざす。⑦「あれ」「これ」「それ」が異様に多くて,説明がわかりにくい。⑧赤信号でも平気で渡る。

すべて「頭がぼけ(認知症),体を支えられなくなり,心もゆがむ」全滅論に起因するように思えてくる。

しかし,著者は,その前に,年を取ると五感がどうなるかを問題にし,五感の変化について次のように説明する。

五感の変化

Ⅰ視覚 老眼が40代中盤からはじまり,60代になると老眼鏡を使わないと辛くなります。また,白内障が50代から半数以上の人に発症し,80代を超えると99%が白内障になります。白内障になると,暗い所と明るい所が見にくくなります。

Ⅱ聴覚 難聴は50代後半からはじまり,60代後半で急速に進み出し,80代以上では7~8割を占めます。まずは高い音が聞き取りにくくなり,電子音などを聞き逃します。次第に,複数の音声の聞き分けができなくなります。後ろから迫っている車の音にも気づかなくて,轢かれそうになります。

Ⅲ嗅覚 50~60代までは年齢とともに機能が高くなりますが,それ以降はやがて低下します。70代からの機能低下が大きいです。嗅覚と味覚は関連しているので,味も感じにくくなります。普段の生活では自分の体臭・口臭に気づかず,相手を不快にさせます。

Ⅳ味覚 60代から衰えてきます。味覚障害により,醬油やソースをたくさんかけたくなります。味がわかりにくくなることで食べる楽しみが減るため,食欲もなくなります。

Ⅴ触覚(温痛覚) 50代から衰えはじめ,70代から顕著になります。手に持っているものの感覚が弱まるため,物を落としやすくなります。温度感覚も鈍るので,やけどをしやすくなります。若い人と同じ空間にいても空調の設定が違うため,嫌な顔をされます。

困った行動のかなりの部分は五感の変化が原因だ

上記した8つの困った行動のうち,①②⑤⑥は,五感の変化が原因の可能性が大きく,③⑦は記憶の問題,⑧は歩く速度の問題であり,五感以外の心身機能の一部が衰えてくるということだ。④は,役割の問題である。残りの8個の困った行動の多くも,五感の変化と心身機能の一部の衰退が原因だ。

五感の変化や心身機能の一部の衰退については,それぞれ「老人」自身で,それ相応の対応ができるし,家族や第三者もそのことが理解できると対応の仕方が大きく変わるだろう。「老人」の行動を「全滅論」で理解し,対応することはお互いにとって不幸だということだ。

全滅論につながる機能の衰退は阻止できる

五感の変化はそれを理解し,適切に対応すれば,さほど問題ではない。一方,心身機能の一部の衰退が,徐々に大きな衰退につながると,その影響は甚大である。これを防ぐのは,食動考休,特に動考である。本書でも簡単に触れられているが,見過ごしてしまいそうだ。間に合ううちに始めなければ…

本書について

「老人の取扱説明書」という題名には,多くの人が顔をしかめそうだが,本書は,老人を「取扱う」主体として,施設,病院等の第三者だけではなく,家族,そして自分自身を想定している。しかも著者は,多くの「老人」と接している「眼科医」ということのようだから,上記のとおり,問題とされる困った行動事例も,あまり深刻でない事例だ。そうなると,「取扱説明書」という機能的な観点がかえって好ましい。

なお,本書には,図解でない,新書版があるが,図解版をおすすめしたい。新書の方は記述が煩わしい。図解版はタブレットがなくてもパソコンにkindleソフトをインストールすれば読むことが出来る。

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ゲームとのコンタクト

私のゲーム体験

ゲームは人を映し出す。小さい子は,自分が後退しなければならないルールが許せない。おとなは,主観的な筋立てや考えるふりをするだけで,強引に手順を進めたり,そもそもゲームの世界に入り込むのを嫌って敬遠したりする。

私は小さい頃は,花札,トランプ,将棋等が好きだったし,碁も少しやったが考えるふりをして強引に進めるだけでうまくならず,いつしかゲームの世界に入り込むのを嫌い敬遠するようになった。

大学生になった頃,インベーダーゲームが流行った記憶だが,あまり好きではなかった。ルービックキューブにも手を出さなかった。その後,私の子供らはそこそこゲーム好きになってファミコン等で遊んでいたが,私はお酒を飲みながら子供らが遊ぶのを見る方が楽しかった。

ということでずいぶんと貧しいゲーム体験だ。

ゲームとのコンタクト

そういう私がなぜ「ゲーム」とコンタクトするのか。対象は,「ゲーム理論」ではなくて,間違いなく「ゲーム」だ。

それは最近,ゲームの制作を受託している会社数社の持株会社の監査役になったことから,これらの会社がどういう業務をしているのか,よく理解する必要がでてきたからだ。まず会社のスタッフから,口頭ベースで簡単な説明を受けた。最近のスマホゲームにも少し触ってみた。それでこれからは,自学自習だ。

「ゲームの今」(Amazon)という本の「はじめに」に,次のような指摘がある。

「こと「ゲームについて語る」となると,明らかにゲームの現状を把握していない発言や,一方的(ないし極めて主観的)な見地からの発言が,急激に増大する傾向がある。興味深いことに,普段は冷静で,畑違いの分野について見解を示すにあたっては下調べを怠らない専門家たちが,ことゲームについて語りだした途端,十年以上前の状況を前提とした分析をしたり,実体がどこにもないブームについてその社会的背景を推測したりと,いわば「勇み足」を連発してしまう…個人的には,これはゲームが持つ,本質的な強さを示しているように思う。ゲームには,識者をして「たかがゲーム」と感じさせる,驚異的な間口の広さがあるのだ。」。

「たかがゲーム」と感じさせることが,「驚異的な間口の広さ」を示しているというこの本の言い方は,すぐには理解できないかなり「ひねくれた」分析だ。

「たかがゲーム」という切り口は,明らかに「ゲーム」を,つまらないものとみている。ひとつはゲームが,単なる「遊び」だということ,もうひとつは,ゲームを構成する要素は大したものではないという「思い込み」からなっているのだろう。

しかし,後者は,全くの誤解である。今のゲームの制作,流通に必要なものをざっと挙げても,企画,シナリオ,ゲームデザイン,プログラミング,ゲームAI,サウンド,グラフィックス,ビジュアルデザイン,ネットワーク,法務・著作権,国際対応,マーケッティング,広告・宣伝,プロジェクトマネージメント等々,膨大な広がりがある。コンテンツ・ビジネスの中でも,最も複雑な仕組みの中で初めて成立する成果だろうが,ゲームを遊ばない世代からは,もっともつまらないものとみられている。前者は,「思想」の問題だ。このような中で「たかがゲーム」と言えることが,ゲームの「驚異的な間口の広さ」,毀誉褒貶なんでも飲み込んでしまうゲームの性格を示していることになる。

現実との架橋

これではすれ違いのまま終わるので,取り急ぎ「ゲーム」と現実を架橋しよう。

1点目は,ゲーム制作の中心に,プログラミング,ゲームAI,ネットワークがあるということだ。ゲームでの試み,習熟が,現実での「軽快な動きを切り開くだろう。

2点目は,ゲームがルールによって成立しており,ルールと世界の関係をシミュレーション出来るということだ。これによってはじめて法が科学的に検証できる土俵に乗るだろう。

3点目は,プロジェクトマネージメントである。ゲーム制作に関与する人員は次第に膨大となり,しかも仕事の集中と弛緩を管理するのは,基本的にはクリエーター自身だから,労働法規の枠組みの中で,プロジェクトマネージメントを実行するのは至難の業である。まさにあらゆる分野のプロジェクトマネージメントの試金石になるだろう。

このように指摘することで,はじめてゲームと関わりを持てなかった世代の人や,敢えて関わらなかった人にも,その意味合いが見えてくるだろう。

そしておそらく実際にゲームにのめり込む体験を経てはじめて,ゲームと現実が深くつながるのだろうが,私にはもう無理かな。

取り急ぎ調べることと今後の課題

まずゲームの歴史と現在の状況を把握する必要がある。「ゲームの今 ゲーム業界を見通す18のキーワード」(著者:徳岡 正肇)(Amazon)には,ゲームの歴史を踏まえた現状の詳細な記述がある。少し古い歴史はその前版である「デジタルゲームの教科書 知っておくべきゲーム業界最新トレンド」( デジタルゲームの教科書制作委員会 )(Amazon)にある。ただゲームの世界は変化が早いから,最新の状況は,丹念に業界情報を追う必要があるだろう。未読だが「All in One ゲーム業界」(廣瀬豪)(Amazon)は,刊行が最近で,新しい情報に基づいているようだ。

ゲーム開発を引っ張ってきた一人の「遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況中継」(著者:株式会社モバイル&ゲームスタジオ)(Amazon)も少し古いが参考になるだろう。Kindle無料本の「ゲーム開発者の地図: 20年の個人開発から学んだこと」(著者:SmokingWOLF)(Amazon)をダウンロードしてみたが,何が書いてあるのかさっぱりわからないのでやめた。

その他,もう少し理解が進んだら,各論の本も読み進めよう。反対にゲームをコンテンツの一種として検討する「図解入門業界研究 最新コンテンツ業界の動向とカラクリがよくわかる本」(著者:中野明)(Amazon)も参考になるだろう。

上述したプログラミング,ゲームAI,ネットワークについては,「人工知能の作り方 ―「おもしろい」ゲームAIはいかにして動くのか」(著者:三宅 陽一郎)(Amazon),「人狼知能で学ぶAIプログラミング 欺瞞・推理・会話で不完全情報ゲームを戦う人工知能の作り方」(著者:狩野 芳伸他)(Amazon),「ゲームを作りながら楽しく学べるPythonプログラミング」(著者:田中 賢一郎)(Amazon),「ゲームを作りながら楽しく学べるHTML5+CSS+JavaScriptプログラミング[改訂版]」(著者:田中 賢一郎)(Amazon)等が参考になる。

ゲームとルールについては,「組み立て×分解!ゲームデザイン―ゲームが変わる「ルール」のパワー」(著者:渡辺訓章)(Amazon)を材料に,ゲーム理論と対比して検討したいと思っている。

ゲームの世界は広大だが,人生は短い。

 

 

地方活性化を考える

「地方創生大全」(著者:木下 斉)を読む

地方活性化を真正面から論じている

今,人口が減少しつつある状況の中で,地方再生,地方創生が大きな課題になっていると言われるが,多分解決すべき問題は,都市だろうと,企業だろうと,国全体の経済であろうと,同じであろう。「地方」を「特殊」なものとして上から目線で論じること自体,無意味である。

「地方創生大全」(著者:木下 斉)(Amazon)は,長年,地方活性化のために活動してきた著者が,地方活性化のために何が必要で,何が不要かあるいは障害かを,ネタの選び方,モノの使い方,ヒトのとらえ方,カネの流れの見方,組織の活かし方という観点から,真正面から論じた本である。

ただ中心となる主張は極めて単純で,経済的に回る事業を,「すぐに」「自分で」始め,撤退も頭において,試行錯誤を繰り返す。実践と失敗から「本当の知恵」を生み出そう。観光客数ではなく観光消費を重視する。役人の立てる計画や補助金は「害悪」だ。

そして,マシンガンのごとく,「ゆるキャラ,特産品,地域ブランド,プレミアム商品券,ビジネスプランコンペ,道の駅,第3セクター,禁止だらけの公園,モノを活かせない「常識的」な人, 地方消滅論,人口減少論,,新幹線,高齢者移住,補助金,タテマエ計画, ふるさと納税, コンサルタント,合意形成,好き嫌い,伝言ゲーム, 計画行政,アイデア合戦」等々を撃ちまくる。

少し視点を抽象化し事前のマクロ的分析を加えれば,素晴らしい本になる

問題解決と創造

上述したように,地方活性化をやり遂げることの出来る力は,都市や企業,国全体の経済の問題にも通用するであろう。もっと言うと,個人の生活・文化・仕事の「問題解決と創造」でも同じである。いや地方活性化こそ,すべての試金石であるといってもいいであろう。

しかし本書は,地方活性化の世界の中であれこれ格闘するあまり,地方政策に関わる行政に対する「批判」だらけとなってしまい,その世界がいささか息苦しくなっている。行政の現実について,把握できている人にはいいが,行政に期待している人を遠ざけてしまうかもしれない。少し視点を抽象化して,個人,企業,政府すべての「問題解決と創造」の方法から始め,主たる論点を「地方政策」に収斂すれば,素晴らしい実践本になると思う。

「地元経済を創りなおす」の方法を取り入れる

もう一点,著者は,ネタの選び方について,行政,コンサルタント,合意,古い発想等々を厳しく批判し,自分の頭で考えろということであるのだが,何をターゲットにするか,その下調べはしたほうがいいだろう。

これについては「地元経済を創りなおす-分析・診断・対策」(著者:枝廣 淳子)(Amazon)が,地域経済からお金の漏れをふさぐという観点から紹介する「産業連関表を用いる方法、地域経済分析システム(RESAS) を用いる方法、英国トットネスで行った「地元経済の青写真」調査、LM3という地域内乗数効果を見る方法、そして、より手軽な方法として、買い物調査や調達調査など」は下調べとして参考になる(ただし,同書の「漏れ穴をふさぐ」という方法論は一人歩きすると危険だと思うし,行政と民間を区別する視点に乏しいこと,また「成功事例」の紹介が安易であること等あって,なお検討の余地がある。)。マクロ経済の視点も,そこで自足しない限り,役に立つ。

地方創生への批判

今進められている「地方創生」には批判が多い。この問題は,中央政府と地方政府の「権力構造」,過去の地方政策の失敗等々も絡み,なかなか複雑な問題だ。

「地域再生の失敗学」(著者:飯田泰之他)(Amazon),「地方創生の正体-なぜ地域政策は失敗するのか」(著者:山下祐介,金井利之)(Amazon)等の学者本も読み応えがあるが,「地方創生大全」+「地元経済を創りなおす」の方法で問題を理解して読み進めると,これらの著者らが何をわかっており,何がわかっていないかが,浮かび上がってくるようだ。

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痩せるために肥満のメカニズムを知る

痩せるのは簡単だ

痩せるのは簡単だ。食べる量を今までの半分にし,1日2時間早足でウォーキングをすれば,数ヶ月で10キロ以上痩せることは確実だ。でもそんなことはできないし,おそらく心と体はボロボロになるのではないだろうか。できないのは,意思の問題というより,行動が生活として不自然で継続不能なことにある。

問題は,肥満のメカニズムを理解した上で,(肥満状態にない人ではなく)現に肥満状態にある人が,どうしたらいいかということである。そこで,肥満状態にある私が,肥満のメカニズムを理解し,どうしたら痩せるか,考えてみることにした。なお,肥満というのは,BMI25以上(より大雑把にいえば,体重>身長-100)のお腹ブヨブヨの中高年を想定している。筋骨隆々のBMI30は,相手にしていない。

肥満のメカニズムを理解する

これについてはそれこそ山のよう情報が散乱しているだろうが,私は「マンガでわかる生化学」を熟読してまとめてみることにした(この本は「生化学」全体を概観するのに,とてもよい。Kindle本は,固定レイアウトなので,解像度のよいタブレットで横画面にして読むことをお勧めする。)。

肥満は,脂肪が体内に過剰に蓄積した状態であるが,私が一番大事だと思うことは,摂取エネルギーと消費エネルギーのバランスを,全体のメカニズムの中で考えることだと思う。

エネルギーの消費

摂取するエネルギーは,糖(グルコース),脂肪,たんぱく質である(ここでは主に前2者だけ考えることとする。)。

身体に入ったエネルギー源のうち,消費(ATP産出)エネルギーとして,まず,糖が細胞に取り込まれて,優先的に使用される。脂肪は,脂肪組織などの蓄積に回り,糖が使い切られて血糖値が低下してくると,エネルギー源として利用され始める。

脂肪が利用されるメカニズムは,脂肪組織に蓄積されたトリアシルグリセロールが,酵素の働きによって脂肪酸とグリセロールに分解されて血管をめぐり,脂肪酸は各臓器や筋肉の細胞に取り込まれ,β酸化という過程を経て,ATPに産出される。ひとつの脂肪酸(パルミチン酸)から129のATPが作られる(グルコース1分子からは38ATP)。この点で脂肪はとても効率のよいエネルギー貯蔵物質である,したがって,なかなか減らない。

体内の脂肪蓄積のメカニズム

摂取エネルギーから,基礎代謝+食事誘発性熱産生(約10%)+生活活動代謝の合計である消費エネルギーを除いた余剰エネルギーが,体内に脂肪として蓄積されることになる。体内に適切な量の脂肪が蓄積されていることは,生きていくうえでとても大切なことであるが,過剰な蓄積が問題である。

脂肪が体内に蓄積されるルートは,摂取された脂肪がそのまま脂肪として蓄積されるルートと,糖が脂肪に変化して蓄積されるルートがある。

摂取された脂肪は,「リポたんぱく質」(小腸でカイロミクロンに,肝臓でVLDLに含まれるトリアシルグリセロール)の形に可溶化され,代謝されない余剰の脂肪は,「リポタンパクリパーゼ」という酵素によって加水分解され,脂肪酸とグリセロールになり,脂肪組織に取り込まれる。

一方,摂取された糖(グルコース)は,細胞内に取り込まれ,解糖系で分解されてピルビン酸になり,ミトコンドリアに入ってアセチルCoAになり,オキサロ酢酸と一緒になってクエン酸になり,通常はクエン酸回路に入ってATPを産出するが,糖が余剰だと,肝臓や脂肪組織では,クエン酸回路に行かずに細胞質に出され,マロニエCoAとなり,いくつかの酵素反応を経て,脂肪酸(パルミチン酸)となる。

肥満のメカニズムから見た摂取エネルギーと消費エネルギー

以上が前提となる(なおこの詳細な過程は「からだの働きからみる代謝の栄養学」(著者:田川邦夫)がお薦めだ。ただこの本は個々の記述は比較的わかりやすいのだが,記述相互の関係,全体での位置づけがわかりにくく,何度読んでもなかな頭に入らない。それはこの本の問題というより,代謝過程そのものの複雑性によるのかもしれない。)。

問題は,摂取エネルギー<消費エネルギー(ATPとして産出,使用)は当然のこととして,過剰に肝臓及び脂肪組織に蓄積された脂肪を,ATPとして産出,使用して消費することである。まとめれば,①摂取エネルギー+②蓄積脂肪によって,③ATPを産出するということである。だから①を減らし,③を増やすのだ。

①については,要は,総量として減らすのが正解であろう。

糖を取り過ぎてインスリンが効かなければ高血糖(一方,インスリンが効いて肝臓に取り込まれると脂肪として蓄積されやすくなるから,肥満ホルモンといわれる。),脂肪は単位量当たりが高カロリーであるから取り過ぎはだめ,たんぱく質には窒素が含まれるから,取り過ぎるとその排出のために肝臓や腎臓に負担がかかる。どれも過ぎたるは及ばざるがごとしで,要するに,ビタミン,ミネラルも含めてバランスよく食べ,食べ過ぎない(腹八分)以上に的確な方針はない。ただし,病的な状態にあるときに短期間,このバランスを動かすこともあり得るだろう。

そうすると,焦点は③である。これを運動とまとめると嫌になってしまう。生体のエネルギー通貨といわれるATPをできる多く使う工夫をすることである。家事・仕事で動き回る,気晴らしを兼ねてのウォーキング(登山),体調をよくする簡単な筋トレ,ストレッチ等々,工夫するしかない。

食べる量を総体して減らすとどうしても食べ残しが出るが,それを気にしない「王侯貴族ダイエット」,好きなだけエネルギー通貨のATPを使う「王侯貴族浪費」,要は,現代の王侯貴族になり,肥満から解放されることだ。うまういくかなあ。

なお,以上の記述には誤りや,不正確なところもあると思うので,適宜,修正していきたい。

高血糖症への途から逃れるために

高血糖症への途

食べ過ぎ,運動不足→肥満により,→高血糖症→糖尿病という引き返し,途中下車のできない新幹線に乗車中だと警告されている人は,私も含め多いであろう。

世の中には,高血糖について,あれがいい,これをしようという情報に満ち溢れているが,食べ過ぎ,運動不足→肥満→高血糖症→糖尿病というメカニズムに関する説明には,とんでも論も多く,まともなものでも,複雑で錯綜しているか,あるいは部分的なもので,なかなか全体の理解が難しい。

そこで私なりに,何とか本筋を踏み外さない手掛かりとなる海図を,まとめてみたいと思う。ただし,以下の記述は極めて不十分だし,誤りもあると思うので,適宜修正していきたい。

まず,ウイキペディアから,高血糖症と糖尿病の概要について引用し,「「代謝」がわかれば身体がわかる」(著者:大平万里)から,「血糖値を調節する仕組み」の概要と「血糖値を下げる仕組み」の説明を引用し(これで血糖値調整の「代謝」の全体像が見えてくる。),これを頭に入れたうえで,「最新版糖尿病は薬なしで治せる」(著者:渡邊昌)の実践と挫折を紹介したい。

高血糖症と糖尿病の基本

高血糖症とは血中のグルコース濃度が過剰である状態であり,125mg/dL以上の状態が慢性的に続くと臓器障害を生じうる。

空腹時においても持続する高血糖症を慢性高血糖症といい、これは最も一般的には糖尿病によって引き起こされる。糖尿病における高血糖症は、糖尿病のタイプと進行度に応じて、通常、インスリン濃度低下、および細胞レベルでのインスリン耐性によって引き起こされる。インスリン濃度低下、およびインスリン耐性により、体内のグルコースからグリコーゲンへの転換が抑制され、その結果、血液中の過剰なグルコースの除去が困難、または不可能になる。糖毒性を生じない通常のグルコース濃度では、任意の時点での血液中の全グルコース量は、20~30分間体内にエネルギーを補給するのにぎりぎり十分な量であり、体内調節機能によってグルコース濃度が精密に維持されなければならない。この機能が低下しグルコースが正常値を超えると、高血糖症が生じる。

グルコースはそのアルデヒド基の反応性の高さからタンパク質を修飾する作用(メイラード反応参照)があり、グルコースによる修飾は主に細胞外のタンパク質に対して生じる。細胞内に入ったグルコースはすぐに解糖系により代謝されてしまう。インスリンによる血糖の制御ができず生体が高濃度のグルコースにさらされるとタンパク質修飾のために糖毒性が生じ、これが長く続くと糖尿病合併症とされる微小血管障害によって生じる糖尿病性神経障害、糖尿病性網膜症、糖尿病性腎症などを発症する。

「代謝」から見た高血糖

「代謝」がわかれば身体がわかる」の説明

血中にグルコースが余計にあると,その反応性からロクなことはない。高血糖は万病の元といっても過言ではない。かといって,全くなければいろいろ支障が出る。血糖値は程良い数値を常にキープしなくてはならないのだ。

血糖値の調節に関係する事項は,細かいところを含めれば,極めて複雑な機構が満載なのだが,ここでは本質的な部分のみで話を進める(図1参照)。

グルコースの形と血糖値の上下

グルコースはに,体内では主に3つの形で存在している。

1つ目は,血液を流れている「グルコース」。これは,「グルコースそのままの形」であり,血糖値はこのグルコースの濃度のことを指す。2つ目は,「細胞内反応型グルコース」。具体的には「グルコース‐6‐リン酸」である。解糖系でも登場する細胞内で様々な反応に進む時の形態だ。そして,実質的に,このグルコース‐6‐リン酸の細胞内での増減が,血糖値を決める鍵となる。3つ目は,「貯蔵型グルコース」の「グリコーゲン」。グルコースの外部からの供給が止まった場合,このグリコーゲンが分解してグルコースになる。

「血糖値を下げる」場合,グルコースが血液中で勝手に分解するわけではなく,血中のグルコースが細胞内へ取り込まれ,「グリコーゲン」あるいは「脂肪酸」になることによって,結果的に血中のグルコース濃度が低下するのだ。

逆に,「血糖値を上げる」場合は,グリコーゲンが分解したり,アミノ酸からの糖新生が進んだりして,細胞外へグルコースが放出されて,血糖値が上昇する。どちらの方向に進むにも,それぞれの反応を進める複数の酵素がある。

そして,血糖値の上昇・減少の方向性を決めるのがホルモンである。血糖値に関するホルモンは,間脳の視床下部,又はホルモンを分泌する分泌腺が血糖値を感知して,どの自律神経(交感神経と副交感神経)の命令を出すか,どんなホルモンを分泌するかを決める。血中に放出されたホルモンは,各細胞に「どういう方向の代謝に進むべきか」の情報を伝達する。そして,各細胞の代謝が変わり,結果的に血糖値の変化が起きる。

血糖値を下げる仕組み

では,血糖値を下げる方を見てゆこう(図2)。

食事で大量の糖質(グルコース)が入ってきた場合,まずは血糖値を適正な値に戻す必要がある。一時的に高血糖になった血液の状況は,視床下部および膠臓が認識して,副交感神経が血糖値を下げる方向に情報を伝達する。その結果,インスリンが腎臓から血液中に分泌される。各々の細胞の表面にはインスリン受容体があり,細胞がインスリンを認識すると,それがきっかけとなって血糖値を下げる方向で代謝が進むことになる。

特に肝臓の細胞では,グリコーゲン合成を促進する方向へ代謝が進む。インスリンによって活性化された細胞内の情報伝達物質は,グルコースを細胞内に取り込むように働き,ヘキソキナーゼによってグルコースはグルコース‐6‐リン酸となる。

インスリンによるシグナルは,さらにリン酸基のついた不活性型の酵素,グリコーゲンシンターゼを脱リン酸化させる。すると,活性型のグリコーゲンシンターゼになる。脱リン酸化による酵素活性の調節である。そして,グルコースの貯蔵形態であるグリコーゲンが次々と合成されてゆく。

一方で,活性型ホスホリラーゼを脱リン酸化させて不活性型ホスホリラーゼにして,グリコーゲン分解の反応の阻害もする。すなわち,脱リン酸化によって,グリコーゲンの合成は促進され,分解は阻害される結果,細胞内のグルコース濃度は減少してゆく。減少すれば,さらに外部からグルコースが取り込まれる。

ただし,肝臓以外の細胞では,グルコース‐6‐リン酸が過剰になった場合,グルコースー6‐リン酸によるアロステリック効果によって,ヘキソキテーゼの活性が低下してゆき,必要以上のグルコースの取り込みが起こらないようになる。しかしながら,肝臓ではこのアロステリック効果が起こりにくい。なぜか?

酵素の構造の違いもあるが,肝臓においては,グルコース‐6‐リン酸から脂肪酸合成の方向もあるからだ。つまり,脂肪酸合成の材料として,肝臓の細胞はいくらでもグルコースを取り込むことができるのだ。インスリンが肥満ホルモンといわれる所以である。

問題の所在と実践

問題は,「各々の細胞の表面にはインスリン受容体があり,細胞がインスリンを認識すると,それがきっかけとなって血糖値を下げる(グルコースを取り込む)方向で代謝が進む」のに,インスリン濃度低下(インスリンの不足)と,インスリン耐性(インスリン抵抗性)が生じる(グルコースの取り込みが阻害される)ことである。

これを基本に何をすべきかを考えたい。インスリンの不足(濃度低下)は,簡単にいえば,食べ過ぎ,運動不足が続き,過剰な血糖処理のために常時インスリンが作り続けられ,結果,膵臓が疲弊したこと,インスリン抵抗性は,内臓肥満が原因のようだ。上記図2を見ればわかるように,これはいずれもグルコースが細胞に入る入口の話だ。ただし「最新版糖尿病は薬なしで治せる」(者:渡邊昌。以下「最新版薬なし」と略称する。)の中に,運動によってインスリンによらなくても(AMPキナーゼの働きで)グルコースが細胞に入る旨が指摘されているので,この限りで入口が広がることになる。あとはグルコース(カロリー)の摂取量と,AMPの生産量(運動量)の話だが,ここは整理しないと混乱する。

「最新版薬なし」(旧版は,平成16年刊行の「糖尿病は薬なしで治せる」)は,糖尿病と宣告された医師である著者が「薬に頼らず,食事と運動だけで治す!」ことを志し,頻繁に血糖値を測定しながら,食事と運動の効果を検証しつつ,(ほぼ)糖尿病を克服したという,優れたレポートであった。

最近旧版を読み返してみて,少し説明が古いかなと感じ,改定されていないかなあと探してみると,「最新版薬なし」にアップデートされていた。最新版の帯は「食事と運動でここまでできる!」となっていて,「食事と運動だけで治す!」から後退している。内容をみると,どうも著者は,高血糖の状態が再発したらしく,インスリンも使用しているようである(原因はs高齢化とあるが,「外食は半分残す」,「甘いものは食べない」がおろそかになったようだ。)。そうであっても,糖尿病合併症の発症は阻止しているので,十分な実践であろう。ただ最新版は部分的に新しいことがバラバラと付け加えられているので,旧版にくらべてわかりにくなっている(なおこの本には,結構,逸脱気味の記述もある。断食,西式健康法…私は昔はそんな世界が好きだったけれど。)。それで上記のような整理をしてみようと思い立った。

あとは,「最新版薬なし」の各記述について,上記の整理のどこに引っかかる問題かということも興味深いので,今後,記述を追加したい。

 

20年後の自分に会う健康法

50数年前の私

私は,広島県大竹市というところで生まれ育った。最近,大竹小学校を卒業した同級生有志の肝いりで,東京で大竹小学校の同窓会が開かれるようになり,各人のその頃の写真を探し出し提供してくれた。もちろんその写真から今の私を想像することはできない(多分!)。

20年後の私

小学生の私が60歳を過ぎた自分を想定しないのは当然として,20歳の私も,その20年後に40歳になるなどとは考えもしなかった!

40歳の私は,経験上,20年後に60歳になるとだいぶ老けることは分かっていたたが,そんなに変わりはしないだろうと高を括っていた。でもその頃かかった医者にはよく,「このままの生活を続けると後*年で,**」と脅されたなあ。

63歳になった私は相も変わらず能天気ではあるのだが,20年後の83歳の私となると,さてと考え込んでしまう。これまでとは様変わりだ。一体,その頃,私は存在するかどうか。存在するならどういう私だろう…寝たきり,認知症は,断固阻止しなければ。そのためには,20年後の私を想定し,今日の自分から結び付けなくてはならない。

20年後の私を想定する

20年後の私は,背筋を伸ばし,一日中,颯爽と歩きまわる,簡単な筋トレとストレッチを日課とする,体重は,BMIが25内外(体重71キロぐらい)。酒は時折,たしなむ程度,髪の毛は気にしない(父親はハゲで母親は白髪だったから)。毎日本を読み,相変わらず英語をマスターしようと意気込む?

そういう20年後の私を想定する…でもこれって,今の私よりはるかに若々しい?

今日からすること

背筋を伸ばし,一日中,颯爽と歩きまわる

仕事柄,デスクワークが多く,一日中,ほとんど座りっぱなし。しかも最近寒くて,家にいるときは,布団に入って本を読んでいることが多い。これでは廃用性萎縮,まっしぐらだ。

・できれば朝,30分,駅まで歩く(電車に座るために,6時前だ。)。

・できれば土日は,山に行くか,スロージョギングをする。

・週日2,3回は,スポーツクラブで,水中(ジャグジー)ウォーキングをする。

・何もできないときは,家でバイク漕ぎ運動をする。せめて,できるだけ寝っ転がらない。

・何をするときも背筋を伸ばすことが大切だ。下を見てあれこれすると,昨日久しぶりにしたスロージョギングのように,電柱にぶつかる。

簡単な筋トレとストレッチを日課とする

これがなかなかむつかしい。筋骨隆々たるキン肉マンや,180度開脚前屈のヨガ行者を目指すのではなくて,20年後に,背筋を伸ばし,一日中,颯爽と歩きまわることができる身体を維持することが目的だ。でも日課とすることが難しい。

ラジオ体操で十分だと思うのだが,そういう環境がない。

おそらくスクワットを基本として,ダンベルと,何でもいいからストレッチを組み合わせればいいと思うが,いつどこでやるか。事務所の机の前に,ブルワーカー!と,BMストレッチ!の説明のコピーを張っているのだが,ほとんど実行したことがない(ついでに「ダイエットの誓い」として,「×間食・夜食,×大盛(無料増量),×朝そば(→サラダ」」も張ってあるが,これもどうも。)。

家でやろうと思えば,簡単な筋トレとストレッチを織り込んだ,運動アプリのようなものでもいいだろう。

少し試行錯誤し,何か日課になることが引っかかれば,紹介したい。

BMIを25内外にする-外食・コンビニ食との闘い―

これは,ほぼずっと「少しの外」で実行できていたのだが,ほとんど山に行かなくなって4キロ増え,最近,3キロ増えてしまった。原因は問うまでもない。運動不足に,食べ過ぎ・飲みすぎである。

それとは別に,食事がほぼ外食・コンビニ食になってしまったこともある。これまでは社員食堂類似の場所が利用でき,昼食を,ほぼ毎日,カロリーにも配慮した日替わり定食から選択して食べることができたが,神田淡路町の昼の定食,コンビニ食は,ボリュ-ムたっぷりで,なかなかつらいところがある。もちろん,飲みすぎも関係する。

でもこれは結局,どこまで簡単な筋トレとストレッチを日課とし,背筋を伸ばして一日中,颯爽と歩きまわる姿がイメージできるかということであると思う。

晴れ舞台なくして痩せることなどできない。

食動考休

以上が私家版の「食動」で,「毎日本を読み,相変わらず英語をマスターしようと意気込む?」のが「考」だ。「休」は,毎日,「ビッグバン・セオリー」を聞きながら眠るのをやめればいいんだけれど。

ところで,最近とみに,多様な日本語を操るようになった孫娘に感動したばあばは,孫娘に「負けないように英語をマスターする。」といったところ,孫娘は「しゅぎょうだ。」といった。勝てるわけがない。私も「しゅぎょう」だ。もちろん,私の晴れ舞台には,孫娘が登場するのだ。

  「元気で長生きするための、とても簡単な習慣」を読む

著者:デイビッド・B エイガス

「ジエンド・オブ・イルネス」の要約版だ

ジエンド・オブ・イルネス」(The End of Illness)という本は,健康を考える上でとても参考になるが(年賀状でも紹介した。),アメリカの本らしく,豊富な話題が登場してあちこちに飛ぶので,これを踏まえていざこれから何をしようかと考えると,分からなくなる。

同じ著者が,「ジエンド・オブ・イルネス」の内容を踏まえ,守るべき習慣としてまとめたのが,「元気で長生きするための、とても簡単な習慣」(A Short Guide to a Long Life)である。原書の存在は知っていたが,つい最近,翻訳本があり,しかもKindle本になっていることを知った。

この習慣のリストは,末尾に掲げたように,習慣1から65まであって,重いものから軽いものまで様々なものの混成だが,自分に欠けていると思うものをピックアップすればよいのだろう。各習慣には,1ないし数ページの説明が付されている。

私には,「座りっぱなしをやめる」,「ストレッチをする」,「「やることリスト」をつくる」あたりが,大切そうだ。あと大方の人にとって一番重要な「適正体重を維持する」に「体重が0.5キロ減るだけで,膝にかかる負担は,一歩につき2キロ減る」とある指摘は新鮮だ。確かに,体重が増えたまま山に登ると,膝への負担は大変で,しばらく痛みがとれない。この計算の根拠は不明であるが。

厳選!13の最強リスト

著者も,さすがにこのリストは多すぎると思ったのだろう,著者自ら「あらゆる人に必要な13項目。この簡単な最強リストだけでも必ず心がけて」として,「日常生活で健康を保つための最強リスト」を掲げている。以下のとおりである。

①毎年の健康診断

②家族の病歴

③禁煙

④身体を動かす

⑤規則正しく

⑥自分の身体を知る

⑦健康な食事

⑧健全な体重

⑨ストレス管理

⑪快眠

⑫ビタミン剤とサプリメントをやめる

⑬アスピリンとスタチンを検討する

使いにくいリスト

「ジエンド・オブ・イルネス」にせよ,この本にせよ,その内容の大半は共感を覚えるが,1,2,我が国ではどうかなという点がある。

一つは,著者は,盛んにスタチン(コレステロール値の低下薬)とアスピリンの服用を薦める(もちろん,適合する場合に限ってであるが。)。前者は,心臓病と脳卒中を予防し,後者は,心疾患リスクが減り,抗炎症力によって,がんのリスクも減るとされている。これは,受け入れるのが難しい。

もうひとつ,「ジューサーで作ったジュースは加工食品だ,ジューサーを処分して,ホールフード食べよう。」というが,言い過ぎのような気がする。

なお著者の最新の本は,「The Lucky Years: How to Thrive in the Brave New World of Health」だが,これは翻訳されていないようだ。

65項目の習慣リスト

習慣1 健康のサインを記録する

習慣2 自分を測る

習慣3 規則正しい生活

習慣4 自分の医療データをつくる

習慣5 「本当の食べ物」を食べる

習慣6 生産者と知り合いになる

習慣7 家庭菜園を楽しむ

習慣8 自分に合った食習慣

習慣9 オフィスでもリラックスする

習慣10 夕食に赤ワインを一杯

習慣11 清潔にする

習慣12 だれかと一緒に暮らす

習慣13 適正体重を維持する

習慣14 予防接種を受ける

習慣15 自分の裸を見る

習慣16 座りっぱなしをやめる

習慣17 毎日十五分以上汗をかく

習慣18 身体にいいコーヒーの飲み方

習慣19 家系の病歴を知る

習慣20 遺伝子検査をする

習慣21 「スタチン」という薬

習慣22 ベビー・アスピリン

習慣23 定期検診と予防接種

習慣24 健康面の目標を立てる

習慣25 病気になったら、賢く過ごす

習慣26 慢性疾患を管理する

習慣27 医師と二人三脚する

習慣28 正しい姿勢を保つ

習慣29 スマイルを忘れない

習慣30 趣味をもつ

習慣31 よくなると信じる

習慣32 苦手なエクササイズに挑戦する

習慣33 目と耳を守る

習慣34 歯と足の手入れをする

習慣35 心肺蘇生法を習う

習慣36 災害対策をする

習慣37 魚を食べる

習慣38 果物と野菜を食べる

習慣39 健康情報を次世代に伝える

習慣40 適度な潔癖性

習慣41 朝ごはんをきちんと食べる

習慣42 万能薬はないと理解する

習慣43 病気を前向きにとらえる

習慣44 ストレッチをする

習慣45 「やることリスト」をつくる

習慣46 助けを頼む

習慣47 子どもをもつ

習慣48 処方を守る

習慣49 犬を飼う

習慣50 「終活」を話し合う

習慣51 医療の基本的用語を覚える

習慣52 自分の健康を定義する

習慣53 人工食品とダイエットを避ける

習慣54 自然のデトックス

習慣55 危険な運動を避ける

習慣56 放射線照射に気をつける

習慣57 日焼けを避ける

習慣58 よい睡眠をとる

習慣59 炎症の原因を避ける

習慣60 ジュースを避ける

習慣61 肉を適度に食べる

習慣62 ビタミン剤やサプリメントを避ける

習慣63 適度に休む

習慣64 禁煙する

習慣65 自分の情報をシェアする

 

 

 

自分の健康は自分で守る

「ジエンド・オブ・イルネス」

最近また少し体調を崩し,そろそろ「いつまでもいくら飲んでも大丈夫」とは言っておられないなあと感じている中で,たまたま目にした「ジエンド・オブ・イルネス」(デイビッド・エイガス著)(病気の消滅)を読んだ。

自分で自分を守るしかない

この本の内容は,「アイデアをカタチに」の「健康になる」との関係で,別途紹介することにするが,その中に,「がんになるのが,たいてい子どもを持つ年齢を過ぎてからなのは,偶然ではない。進化は,子どもを持つ可能性が低い40歳代,50歳代の人間を守ることには,あまり関心がないのだ。進化が気にかけているのは,あなたが,子を持てるように体のシステムを維持できるかどうか,ということだけなのだ。」,「自然は善良かもしれないが,愚かでもなければ,情け深くもない。年寄りにエネルギーを注ぐような無駄はしないのである。したがって,体が新しい生命を世の中に送り出せなくなった後は,私たちは自分で自分を守るしかない。」という記述がある。

これは,進化論を理解するとよくわかるが,要するに,「生物は繁殖度が上がるように進化する」のであるから(したがって,できるだけ多くの子孫作りさえ行われれば,様々な原因で直ちに死んでしまう動植物も多い。),繁殖期を過ぎた動物が長生きするような手立てを進化は選択・保持していない,繁殖期後の身体は生存を継続できるような固有のメカニズムを備えていないということである。子供のころは免疫と親に庇護され,繁殖期までは「若さ」を保つ進化的メカニズムに庇護されていても,繁殖期を過ぎれば,従前の「若さ」の仕組みがある範囲で使いまわしできるだけで,あとは,「自分で自分を守る」方法を講じていくしかない。

少なくても中高年の人が健康を考える場合は,これに得心が行くか行かないかで,将来は分かれるだろう。繁殖期後は,老いて衰退するというより,いきなり姥捨て山に放り出されるというのが正しいイメージではないだろうか。

自分を守る手立ては何か

自分を守る手立ては,このブログでも一度触れたことのある「食動考」である。これに休息を付け加えてもいいだろう。

私はこれについて,今後,健康になりたいという「思い」を「実現する」プロジェクト(アイデアをカタチにする)の中で,できるだけ実行が容易なスキームを提供したいと思っている。実は私が関与していたビジネスジェットを使った「国際医療搬送事業」は,我々が作成・提供する健康管理アプリを使用する個人会員が,海外にいて救急搬送が必要となった時に,優先的に安価(無料)で提供するというスキームを検討していたが,その中で「健康管理」については,ある程度検討していた実績がある。

もっとも,そこでは,私自身は適用除外になっていたので,何度も体調不良になってしまうわけだ。今後は,繁殖期を過ぎた私は「自分で自分を守るしかない」ということを根底において,当然私にも適用され,私自身も健康になる,「食動考休システム」を検討してきたい。

 

 

 

中高年の健康標語ー食動考

マジカルナンバー7から3へ

人間が記憶できる量を「チャンク」と呼ばれる塊りで表すと,7±2個の範囲に収まるとして「マジカルナンバー7(±2)」ということがいわれるが(Miller, G. A. (1956). The magical number seven, plus or minus two: Some limits on our capacity for processing information.),実際は素材の種類に依存し,数字なら約7個,文字なら約6個,単語なら約5個である,そして見かけ上の記憶成績を増やす要因をできる限り排除すると,若年成人の純粋な短期記憶容量は約4チャンクだそうなので(以上,ウィキペディア),中高年になると3チャンクだろう。

ところで,中高年,特に60歳を過ぎると体についてあれこれ配慮しながら毎日の生活をしていかないと,あちらこちらにガタが来るというのが実感だが,もちろんあれもこれもというわけにはいかない。なんせ3チャンクだから,カバー出来ることは限られる。でも一番の問題は面倒くさくなって,頭の中は0チャンクで何もしないことだろう。

マントラと標語

いや一つ頭に入っておけば十分だという考えもある。仏教では,念仏(南無阿弥陀仏),お題目(南無妙法蓮華経),光明真言(オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン)などを唱えるが,これは意味よりもマントラとして唱えるという世界だ。

キリスト教の主の祈り(天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン)や,仏教の懺悔偈(さんげげ)(我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう),皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち),従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう),一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)や,十善戒(弟子某甲盡未来際(でしむこうじんみらいさい)不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 不両舌 不悪口 不慳貪 不瞋恚 不邪見(ふせっしょうふちゅうとうふじゃいん,ふもうごふきごふりょうぜつふあっく,ふけんどんふしんにふじゃけん)なんかは長いし,意味に充ち満ちた世界だ。ところで,私の頃の主の祈りは文語文だったなあ。それと十善戒の代わりに五戒というものもあって,これは4番目までは同じだが,5番目が何と不飲酒(ふおんじゅ)になって終わり。どうして不飲酒がいきなり大抜擢を受けるのだろう。今の私にはよくわかるが。

でもこれらは人によってはいいかも知れないが,60を過ぎた体のガタは防げない。そこで健やかな毎日を過ごすための私流の標語(モットー,スローガン)を考えよう。

食動考

私が考えた標語は,食動考。体に大切なのは,食べることと,動くことと,考えることという意味だ。食は小食,動は多動,考はダニエル・カーネマンの「システム2」だろう。これらの意味内容については,今後じっくりと生命論,健康論として検討していきたいと思うが,今日はとりあえず,標語だ。

でも食動考のままでは抽象的だから,個人個人で食動考のそれぞれに具体的な対象を乗せよう。今の私の場合(当然どんどん変わっていくものだ。),食は野菜,動は毎日できるスクワットかな。考は英語だな。そうすると口調も考えて,「一英,二スク,三野菜(いちえいにすくさんやさい)」というところだろう。

これを毎日口ずさんみ,毎日少しでもいいから欠かさず実行すれば,0チャンクや,対象が多すぎて結局何もできない場合との差は,明白だ。

偶然に驚く

というようなことを昨日(2014年12月15日)までに考えて,食動考はなかなかいいなあと自画自賛して記事を作成したが,今日アメリカのamazon.comを見ていて驚いた。SCIENTIFIC AMERICANの特集号として「EAT,MOVE,THINK Living Healthy」が販売されていた。「EAT,MOVE,THINK」?食,動,考そのままだ。ただ内容は,7セクションに分けて,それぞれ4,5本程度の短いエッセイから構成されているが。

これはまったくの偶然ではあるが,私が大切だと考えていることが期せずして,SCIENTIFIC AMERICANのeditorと一致したということだ。もっとも誰が考えても同じようなことになるということかも知れないが。

 

「吉本隆明の下町の愉しみ」を読む

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一口コメント

歳をとって,世界をワンダーランドに変える方法,あるいは向こうから押し寄せてくる情況とは何か。吉本さんの最後の主戦場は,200メートル四方の「上野」だった。

私的感想

私は,10代,20代の頃は,吉本主義者だった。「共同幻想論」,「言語にとって美とは何か」,「心的現象論序説」には軽く目を通しただけで,それがどのくらいの価値があるかはわからないまま,「原理的な問題はすべて解決済みだ」と嘯き,吉本さんの「情況への発言」とか,政治評論,社会評論の口まねをして「自立」を口にしながら,でも実際は,文学や宗教に関する評論,論説だけ一生懸命読んでいた記憶がある。

率直にいって,吉本さんは,文学,宗教の分野以外は,素人だったと思う。しかし,とにかく問題に食らいつき,少ないが良質の材料の中でよく整理して考えた上で,「気力」「気合い」を充実させ,きわめて飛躍の多い,抽象的かつ情緒的な文体で,問題の「本質」を,切り捨て,かつ歌うので,好きな人にはたまらない魅力があった。それが客観的には,問題の「本質」切開とまではいえず,論述のスタイルも多分に非論理的であっても,あまり的を外したことがなかったので,私は個々の主張はともかく,いつまでも嫌いにはならなかった。

ただ,その分,私も若い頃その一員であったように,追随して物まねをする人が多く,とにかく「知の巨人」などといって持ち上げるのにはいい加減うんざりしていた。この本の帯もそうだ。

二つのことを書こう。

吉本さんは,60年安保の時,警官隊とぶつかる中で警視庁に入り込み,逮捕された。それをずいぶん冷やかされていたが,それはともかく,今から50年前,40年前には,「安保闘争」という「政治闘争」が,人々の行動の中で大きな意味を持っていたことに今更ながら驚かされる。とりあえず若い人にはわからないだろうといってみるが,たとえば,私がいっぱしに物事を考え始めたのを15歳としてその50年前は,1919年になるが,その年の主立った出来事を調べてみると,国際連盟創立,「三・一独立運動」,「五・四運動」,ベルサイユ条約締結だそうで,15歳の私にとって,これらははるか大昔に起きたリアリティのない想像もできない出来事であった。同じことだねというより,今は昔の何倍も変化の速度が速いから,まあ60年安保というのは,私が明治維新について持つぐらいのイメージを思い浮かべればいいか。

吉本さんは,伊豆の海でおぼれかけたことがあり,それから体調を崩したと聞いていた(調べると1996年である。)。この本に収められたエッセイの多くは,上野近辺を素材にした事故後のものである。「足腰と眼を殆ど同時期に悪くして(なって)から」とあるのは,この事故のことを指すのだろうか。本書では,吉本さんの事故前のエッセイにあった,「気力」,「気合い」のクッションがなくなり(オーラといってもいい。),「もの」がそのまま吉本さんにぶつかり,それを身障者だと自称する吉本さんが,あちらこちらを迷走しながらやり過ごすほんの少しのユーモアがとても魅力的である。本書の書き下ろし「自転車哀歓」がその「極北」である(というような表現もよく使った。)。

吉本さんは,今年(2012年)3月に亡くなられた。本書も魅力的だが,「気力」,「気合い」の充実したままの吉本さんをもう少し見てみたかった。ご冥福をお祈りする。

詳細目次の次に,簡単な「要約・抜粋と考察」があります。

詳細目次

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